『セールスマンの死』アーサー・ミラー
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[夢破れて袋小路]

「この家じゃ、本当の話は十分と続かないんだ!」(本文より)


世界大戦が終結したアメリカで生まれた、サラリーマンの悲劇を描く戯曲。
文字通り、セールスマンが死ぬ話。

主人公のウィリーは、セールスマンだが、35年も勤めて利益をあげられない外回りをしている。ローンはたまっているし、息子どもは30代の働き盛りなのに、いまだに親のすねをかじっている。(現代的だ。あまりにも)
こんな悲惨な状況にあって、ウィリーは、自分はみんなに愛されるすばらしいセールスマンだと思い込む。そうではないことを知っているけれど、強烈な意思で思い込む。さらには、息子たちに過大な期待をかけて、英雄に仕立て上げて、いつかはすばらしい仕事を成し遂げると言い続ける
しかし現実は容赦がない。迫りくる現実の厳しさは、幻想では補いきれなくなって・・・。

これは一体どこの現代日本の話だ?と思うような、あまりにリアルすぎる会話にびっくりしてしまった。
自分のアメリカン・ドリームと、子供たちへのアメリカン・ドリームの継承。
この「アメリカン・ドリーム」を「プレジデント・ファミリー」と「俺だってやればできる中二病」と置き換えれば、今の日本の話として通じる。

そういえば、以前、『ライ麦畑でつかまえて』で引用した、「いったいいつになったら大人になるんだ?」というセリフが同じだったので、ちょっと驚いた。
「夢を見続けるのは子供のすることだ、現実を見ろ、そんなに甘くはないぞ」という、今も昔も変わらない警告。
成功した人はいい。夢を見ない人はいい。現実を知って方向修正できる人はいい。
そうできない人間はどうすれば?やはり行く末はこうなってしまうのだろうか・・・考える。

ミラーと同時代の劇作家には、テネシー・ウィリアムズがいる。ちなみにどちらもピュリツァー賞を受賞。同時代に優れた劇作家が二人も出て、しかも二人とも、夢が壊れる世界を描いているのは、示唆的だ。『ガラスの動物園』の方が叙情的には美しいが、インパクトはこちらかな。

Arthur Miller Death of a Salesman , 1949.
アーサー・ミラー:倉橋健訳『セールスマンの死』早川書房、2006年。



recommend:
崩れるアメリカ。
テネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』・・・もろい世界の崩壊。
フェツジェラルド『グレート・ギャツビー』・・・グッバイ、アメリカン・ドリーム。
rate:☆☆☆☆
ふくろう男
北米文学
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『スロー・ラーナー』T・ピンチョン
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[ぶっちゃける]

昔の日記や作文を読んで、逃げ出したくなった思い出はないだろうか。私はある。
朗読されようものなら、もはや拷問だ。その場で燃やして、自分もどこかに埋まりたい。

いち市民はそのくらいですむかもしれないが、作家となるとそうもいかない。
作品として出した以上、燃やすことも埋まることもできない。過去の作品に対して、作家は行儀よく沈黙を守るのが通説になっている。だがピンチョンはこの通説を破った。

本書は、20世紀アメリカにおける最も重要な作家の一人として位置づけられる、ピンチョンの「序」つき短編集。というか、むしろ「序」が本編という、変な本である。
『スローラーナー』は「序文」の名前で、意味は「のろまな子」。ピンチョン自身が、初期に書いた短編について批評している。
これがまた、ぶっちゃけている。
「格好つけただけ」とか「書いてみたけど、意味はわからなかった」とか「どこそこからパクりました」とか、見ているこちらが「え、いいの?」と困惑するぐらい。
さすが型破りの作家である。
以下、一言感想。おもしろかったものには*。

「スローラーナー」
「エゴに打撃」「再読してぼくのさいしょの反応はイヤコイツハ参ッタで」「何とか全面的に書きなおせないものかと思った」などなど、名文句頻発。素直すぎて笑える。
最初読んでも、言っていることの半分もわからないので、全部読み通したあとに読んだほうがいいかもしれない。

「小雨」
陸軍の若者たちの断片と、雨。アメリカの若者ぽさがある話。
ピンチョン・コメント→「(ラストについて)言語が急にあまりに凝ったものになり、読むに耐えない」
セックスとかジョークとか言っていた若者が、最後になってエリオットを引用しだすのは、たしかにちょっと奇妙かも。

「低地」
家を追い出されて、ゴミ捨て場に流れた男が、ジプシーの女性といっしょにもぐりこむ。
流される男の行き着く先。これもけっこう若々しい話。
ピンチョン・コメント→「ぼくがこの短編を書いたときには、彼(主人公)は相当にクールな人物だと思ったのだが」

「エントロピー」
真冬にアパートでどんちゃん騒ぎ。
ウィーナー『サイバネティックス』読んだうえで言えば、「たしかに、エントロピーを小説で使いたいのは分かるかも」という感じ。
「エントロピー」について補足メモ。(ネタばれ気味なので反転↓)
ものすごく乱暴にまとめると、エントロピーは熱力学の話で、事象は常に「平らな状態」に向かっているんだけど、まっ平らになるとそれ以上の変化がない=「終わり」というもの。
人間の身体も、細胞は刻一刻と「死」へとむかっていて、もの食べて「代謝」させないと、平衡状態になって死ぬ。
この短編でいえば、窓が割られて、暑い部屋の中と、極寒の外の空気が平衡になって動かなくなるところ。

ピンチョン・コメント→「新米の作家がいつも、犯さないようにと警告されている、手続き上の誤りの好例」「キュートでしょ?」

「秘密裏に」
エジプトとスパイと陰謀。
そういえば、昔はスパイにあこがれた。でも、よく考えたらいやな職業ですね。
ピンチョン・コメント→「魅力的なトピックだ、文学的窃盗というのは」

「秘密のインテグレーション」
子供たちの悪だくみ。これはけっこう好き。
秘密基地と悪だくみ、ノスタルジーでもいいじゃないか。
ピンチョン・コメント→「自分が書いたとは思えぬような部分がある。この二十年間のいつのことか、いたずら妖精の仲間がこの作品の中に入り込んで手を加えたものに違いない」

照れ隠しのような、自虐のような、なんとも判断がつきかねるが、そういったものを笑えるコアな人向きの本かと。これ読むんだったら、一気に長編いっちゃった方がいいと思う。
しかし、本当に一筋縄ではいかないな、ピンチョン。

Thomas Pynchon Slow Learner 1984.
トマス・ピンチョン:志村正雄訳 『スロー・ラーナー』筑摩書房、2008年。


recommend:
ジャンル分け不能小説。
>トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』・・・やっぱり長編で。
ナボコフ『ロリータ』・・風俗小説かロード小説か。
>メルヴィル『白鯨』・・・鯨学が半分を占める奇書。
チェスタトン『木曜日だった男』・・・ミステリのような、哲学のような。
rate:☆☆
ふくろう男
北米文学
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『ガラスの動物園』T.ウィリアムズ
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[ガラスのユニコーン]

"This play is memory,
Being a memory play,it is dimly lighted, it is sentimental, it is not realistic.
In memory everything seems to happen to music."

「この劇は追憶の世界です。
追憶の劇だから、舞台はほの暗く、センチメンタルであって、リアリスティックではありません。
追憶の世界ではすべてが音楽に誘われて浮かんでくるように思われます。」(本文より)

アメリカの劇作家が描く、ガラス細工のようにもろく繊細な世界。

世界と折り合いをつけられるか、そうでないか。
登場する3人の親子らは、みんながみんな、現実世界とうまく折り合いをつけられない人たちである。
母親アマンダは過去の栄光と子供たちの未来に、主人公トムはまだ見ぬ別世界へ、姉のローラはガラス細工の世界へと、それぞれがそれぞれの夢の世界へ逃避する。
3人の家族が住む小さな空間は、じつに繊細で、もろい基盤の上に立っている。
そんな舞台に、アメリカン・ドリーム的な、青年紳士が現われる。・・・

おそろしく繊細な物語。
まるでそこにあるのが奇跡のような結晶が、夢のようなきらめきを放ち、そしてもろく崩れ去ってしまうような、そんな雰囲気。登場人物は、青年紳士以外は地に足がまったくついていないが、それでも姉のローラという存在は群を抜いて夢のようである。
崩れるか崩れないかという、ぎりぎりの緊張感と、それでもいつかは壊れてしまうだろうという、確信に満ちた予感があって、このテンションの張り方が非常にたくみで一気に読ませる。

『グレート・ギャツビー』にしてもそうだが、1930年代アメリカの雰囲気は、袋小路に追い込まれた閉塞感がある。大恐慌と大戦、先行きの見えない不安の中で、夢にすがって砕けていった人びとも多かったのだろう。
ユニコーンは生きにくく、ガラス細工は壊れやすい。

ちなみに本書の訳者は、白水社のシェイクスピアでおなじみの小田島氏。
独特のやわらかい文章がいい、好きな訳者の一人。冒頭で英語と対比させてみたが、やっぱり英語と日本語って、雰囲気がぜんぜん変わりますね。

Tennessee Williams The Glass Menagerie 1945.
テネシー・ウィリアムズ:小田島雄志訳『ガラスの動物園』新潮文庫、1988年。



recommend:
アメリカの1930年代、もしくはアメリカ戯曲。
フェツジェラルド『グレート・ギャツビー』・・・1930年代アメリカ。
>ソーントン・ワイルダー『わが町』・・・平凡な町と宇宙。
>アーサー・ミラー『セールスマンの死』・・・同時代の劇作家。
rate:☆☆☆☆
ふくろう男
北米文学
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『それ自身のインクで書かれた街』S.ダイベック
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[記憶の断片あるいは]

シカゴ育ちの作家による詩集。

本書は、先月にスチュアート・ダイベックの来日講演会に行った時に購入。
買う予定はなかったはずなのだが、気がついたら手元にあった。きっと、ダイベックがダンディだったせいと、お昼のカツサンドが思いのほかおいしかったせいだ。

彼の詩を読んだのははじめてだが、雰囲気は『シカゴ育ち』『僕はマゼランと旅した』とやはり似ている。
叙情性と、国籍がごちゃ混ぜの移民感覚、どこの国とも知れない空気にひたる。
どちらかといえば、短編よりも、自伝的な要素、思い出要素が強いかもしれない。「自伝」「啓示」など、過去が強烈に意識されている作品が多い。

ダイベックの作品は詩的だと思っていたが、どうやらダイベックは自分自身を、作家である前に詩人だと思っているようだ。講演会で「詩の形になりきらないものが、短編になる」と言っていた。
個人的には今回の詩集にあった作品で、むしろ短編にしてもらいたい作品がいくつかあったのだけれども。(「風の街」とか特に)

記憶の断片あるいは原風景に立ち戻る。

one simply chose a thoroughfare
devoid of memories, raised a collar,
and turned one’s back on the wind.
I remember closing my eyes as I stepped
into a swirl of scuttling leaves.
[Windy City]

君はただ どこかの記憶を 欠いた
目抜き通りを選んで 襟を立て
風に背を向ければよかった
僕もあのとき 目を閉じて
くるくる舞う葉の渦に足を踏み入れたのだった。 
「風の街」


Stuart Dybek Streets in Their Own Ink , 2004.
スチュアート・ダイベック:柴田元幸訳 『それ自身のインクで書かれた街』白水社、2008年。



スチュアート・ダイベックの著作レビュー:
『シカゴ育ち』
スチュアート・ダイベック講演・朗読会

recommend:
きらきら光る空気を放つ作品。
>スティーブン・ミルハウザー『イン・ザ・ペニー・アーケード』・・・きらめく職人世界。
レイ・ブラッドベリ『火星年代記』・・・火星なんだけど地球と人間の話。
>シオドア・スタージョン『夢見る宝石』・・・夢はきらめく。
rate:☆☆☆
ふくろう男
北米文学
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『アメリカの鱒釣り』リチャード・ブローティガン
アメリカの鱒釣り

[鱒釣り]

アメリカのあらゆる場所で、なぜか<鱒釣り>がいたり、鱒を釣ったりしている「鱒釣り」小説。

あらすじをあえて言うなら、とりあえずアメリカに鱒がいる、ということだろうか。
いくつもの幻想的な短編が、あらゆる方向からやってきて「アメリカの鱒釣り」を形作る。
たとえばこんな風に。

「<アメリカの鱒ちんちくりん>は、わたしの顔を、じっと目で追っていた。その時、二人を隔てる空間は川だった。―見る見るうちに、どんどん川幅は広がっていった。」(<アメリカの鱒ちんちくりん>に関する最終記述)

「クリーヴランド建造物取壊し会社」もおもしろくて、なんか切ない。
小川売り場があって、鱒のいる川がデパートみたいなところで売られている。鱒は川の付属品という、悲しい立ち位置だ。

この作品は、訳者との相性が良い作品として知られている。
訳者の岸本佐知子さんは、本書の訳者である藤本和子さんを「恩人」と絶賛している。
藤本さんとブローティガン作品の関係を表しているのは、「注釈」だろう。注釈がここまでユーモラスな翻訳本には、ちょっとお目にかからない。

いつも読みたいタイプの作家ではないが、ユーモアのある幻想世界に、ふとした折にぷらっと遊びに行きたくなる。

Richard Brautigan Trout Fishing in America ,1967.
リチャード・ブローティガン/藤本和子訳『アメリカの鱒釣り』 新潮社、2005年。


ブローティガンの著作レビュー:
『芝生の復讐』

recommend:
幻想世界とずれたユーモア。
ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』・・・不思議な世界観。
>レイモンド・カーヴァー『頼むから静かにしてくれ』・・・会話のナンセンスぶりがおもしろい。
rate:☆☆☆
ふくろう男
北米文学
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『宮殿泥棒』イーサン・ケイニン
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[優等生の物語]

「私はそのときたぶん、考えていたのだと思う。わが人生でありえたかもしれないあらゆる人生のなかで、なぜ自分が、いまここで語ったような人生をいきてきたのかを。」(本文より)


アメリカの超優等生作家が描く、優等生の4つの物語。

品行方正で真面目、人生中に判断や道を踏み誤った覚えも特にない。
主人公たちは、いわばそうした「優等生」だ。
普通の小説だったら、彼らはおそらく「モブ」として描写されるだけだろう。
はたから見れば、安定していて起伏のない人生のように見えるかもしれないが、そんな彼らにも語る物語がある。

周囲に置いていかれてしまったせつない父親の話「傷心の町」、判断ミスからずれてずれてしまった教師の話「宮殿泥棒」がおすすめ。

優等生は優等生のまま、語られる。ていねいな視線が好ましい良作。

最後に、作者イーサン・ケイニンのことについて。
彼はハーバード大の医学部卒業、医師であり作家でもある。
作家本人が「ど」のつく優等生。そりゃあ書く優等生もリアルなはずである。

Ethan Canin THE PALACE THIEF ,1994.
イーサン・ケイニン/柴田元幸訳 『宮殿泥棒』 文藝春秋、2003年。


recommend:
丁寧な短編集、アメリカ編。
>スティーブン・ミルハウザー『イン・ザ・ペニー・アーケード』・・・職人世界のような小説。
レベッカ・ブラウン『体の贈り物』・・・ホームワーカーとの関係。

優等生から外れた人びと。ビート・ジェネレーション。
>チャールズ・ブコウスキー『死をポケットに入れて』・・・飲むわ打つわ。
>ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』・・・ウィリアムテルごっこで妻を射殺した人。
rate:☆☆☆
ふくろう男
北米文学
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『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
華氏四五一度

[本は燃えているか]

大御所SF作家が描く、焚書の世界。

アンチ・ユートピア=ディストピアを描いた名作のひとつとして名高い本編。
ディストピア文学の中では、本書は読みやすい方だと思う。


華氏451度は、摂氏でいえば233度くらい。つまりは本が燃える温度のこと。
偉大なる本の虫だったブラッドベリにとっては、本が焼かれる世界はまさに「ディストピア」だったろう。
もちろんこの本を手に取る、多くの本読みたちにとっても。

真実をつぶし、心をつぶし、見たくないものにはふたをする。
フォークナー、ホイットマン、聖書、シェイクスピアも、全部燃えて灰になる。
そんな監視と制裁につつまれた世界は、見ているこちらを憂鬱にさせる。

しかし、ジョージ・オーウェル『1984年』が徹底的に悲惨だったのに対して、ブラッドベリは何かしらの希望の余地を残してくれる。

この本の一番の見どころは、少女クラリスだろう。
「たしかにあたし、あんたの知らないことを知っているわね。夜明けになると、そこら一面、草の葉に露がたまるのを知っていて?」(本文より)
彼女は前半の一瞬にしか出てこない。
だけど彼女は、まるで映画『シンドラーのリスト』の白黒世界に、一人だけカラーで出てくる、赤い服の少女のように、主人公モンターグの心に決定的な変化を与える呼び水となる。

そして話が進むにつれて、無機質な世界を反映した文章の中、はっとするような花の描写や自然の描写が入ってくる。
ビルの中を歩いていて、ふと空の青さに気づくような目線の移動が印象的。

本が読めるって幸せなことだ、本当に。
最後に、クラリスとモンターグの会話から。

『「あんた、幸福なの?」
「ぼくが―――なんだって?」
かれはさけんだが、彼女はいってしまった―月光の中を走って。』


Ray Bradbury FAHRENHEIT 451 ,1953.
レイ・ブラッドベリ/宇野利泰訳 『華氏451度』 、早川書房、1975年。



レイ・ブラッドベリの著作レビュー:
『火星年代記』

recommend:
ディストピア、もしくは本と検閲の話。
ジョージ・オーウェル『1984年』・・・ビッグ・ブラザーに支配される世界。
>有川浩『図書館戦争』・・・図書館と本を守る。
>ザミャーチン『われら』・・・ソビエトのアンチ・ユートピア。
rate:☆☆☆
ふくろう男
北米文学
0 0

『老人と海』ヘミングウェイ
老人と海

[ライオンの夢]

巨大な魚と老人猟師サンチャゴの、一騎打ちの物語。
1953年に、ピュリツァー賞を受賞。
ものすごいシンプルで、一度読んだら忘れない系の話である。
中学校や高校で、読書感想文に出された記憶のある人も多いのではないだろうか。

ヘミングウェイといえば、アメリカのマッチョ・ヒーローの大御所なわけだが、この作品はヘミングウェイの気質のエッセンスぎりぎりをしぼった、無駄のない作品だと思う。
老猟師サンチャゴは、一人で海に漕ぎ出して、自分と海、そして魚に対して、語り続ける。
自分一人きりで世界と相対して、向き合う老人の姿勢は、すらりと背筋をただした職人のような、シンプルな格好よさがある。

孤独に自然と一対一で向き合う描写が大半だが、私は浜辺に帰ってきた後の、数ページの方が印象に残っている。
少年とサンチャゴ爺さんのかけあいが好きだからかもしれない。

『だれか話相手がいるというのはどんなに楽しいことかが、はじめてわかった。自分自身や海に向かっておしゃべりするよりはずっといい。
「お前がいなくてさびしかったよ」と老人はいった。「なにをとったかね?」』(本文より)

この老人を英雄と見るレビューには賛成できないが(英雄という発想が、そもそも好きではないので)、ある強烈な美学に基づいて書かれた作品であることは評価したい。

たった一人の人間が、世界と対峙することについて。
結果は残らなかった、けれど、老人はやすらかにライオンの夢を見る。


Ernest Miller Hemingway THE OLD MAN AND THE SEA ,1952.
アーネスト・ヘミングウェイ/福田恒存訳 『老人と海』 新潮社、1966年。



recommend:
自然と人間の一騎打ち。
>サン・テクジュペリ『夜間飛行』・・・空と人間。
>メルヴィル『白鯨』・・・鯨とエイハブ船長の戦い。
rate:☆☆☆☆

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ふくろう男
北米文学
2 1

『1984年』ジョージ・オーウェル
1984年

[絶望の世界]

「戦争は平和である 自由は屈従である 無知は力である」(本文より)


『華氏451度』『すばらしい新世界』に並んで、三大ディストピア小説に数えられる、オーウェルの問題作。

「オーウェル的世界」という言い回しがある。
昔ほどではないが、今でも新聞や研究書で見かける。

監視社会や情報統制を批判する時に使うのが代表例。
例文「すべての人間の情報をストックする・・・オーウェル的世界が現実となる」など。
こういう使われ方は正直あまり好きではないし、使い古された感がある。
だが逆を言えば、それだけ本書が与えたインパクトは強いということだ。

1984年。3つの超大国によって世界は分断された。
そのひとつオセアニアは、偉大な兄弟<ビッグ・ブラザー>によって、すべて監視されている世界。
「戦争は平和である 自由は屈従である 無知は力である」というひどいスローガン、二重思考<ダブル・シンク>、真理省、新語法<ニュー・スピーク>など、世界観が強烈である。
オーウェルは徹底したアンチ共産主義、アンチ全体主義だったから、彼の描くディストピアは、冷戦時代の西側諸国に、熱狂的に迎え入れられた。

世界を牛耳るには、パニックと情報と教育を押さえればいい、ということがよく分かる。
浦沢直樹『20世紀少年』でも、「ともだち」は同じことをやっているし。

最初から最後まで救いがない。
「絶望」とは1%の望みも断ち切られることだ。
普通は、そこまで絶望することは滅多にない。
だけど、本書はまさしく「絶望」的だ。
なんといっても、最後の一文が、もっとも絶望的なのだから。

なかなかシュールな問題提起をしているし、一度は読んだ方がいいとも思う。
だけど容易に人におすすめできない、奇妙なジレンマを抱えた本。

...George Orwell 1984 , 1949.
 ジョージ・オーウェル/新庄哲夫訳 『1984年』 早川書房、1972年。


recommend:
ディストピア小説、アンチ共産主義関係。
>レイ・ブラッドベリ『華氏451度』・・・言葉狩りへの、作家の強烈な「NO」。
>アンソニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』・・・管理された社会への風刺。
>オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』・・・まったくすばらしくない。
rate:☆☆
ふくろう男
北米文学
2 0

『ポー詩集』エドガー・アラン・ポー
  ポー詩集


[Nevermore]

本棚を整理していたら、ポーの詩集が出てきた。ううむ、なつかしい。
私が外国文学を読むきっかけを作ってくれた恩師に影響されて買ったものである。

今も昔も好きなのは、もっとも著名な詩のひとつである「The Raven 大鴉」。
ひそりと沈む教室に、先生の朗読の声が拡散する心象風景がある。
原詩は半分も聞き取ることができなかったけれど、nothing more 、evermore 、nevermoreと、手巻き時計の秒針のように、規則的に繰り返される語感が気持ちよくて、うたた寝ばかりしていたような気がする。(先生ごめん)


Tell me what thy lordly name is on the Night's Plutonian shore!'
Quoth the raven, `Nevermore.'
夜の、冥府の磯でお前の立派な名前は何と呼ばれるか
大鴉はいらえた、「Nevermore---またとない。」


鴉に対して真剣に自分の希望を語り、すべて「またとない」と言われる失恋男の詩だけど、詩なのに物語のようで、長いあいだ印象に残る作品。

「アナベル・リイ」にしてもそうだけど、ポーの詩は、なんというかこう、「去った恋愛への男の浪漫」みたいなものがある。
初恋の人が死んで嘆くところとか、鴉に「あの人にまた会えるのか?」とか聞いちゃうところとか、思い出を美化して宝箱にしまっておく感じ。
いろいろな時代の小説家に愛されるのも、分かる気がする。


Bird or beast above the sculptured bust above his chamber door,
With such name as `Nevermore.'
その部屋の戸の上に刻まれた胸像の上に、鳥か獣か
その名を聞けば「Nevermore---もう二度と」


...Edgar Allan Poe COLLECTED WORKS OF EDGAR ALLAN POE .
 エドガー・アラン・ポー/加島祥造編 『対訳 ポー詩集』岩波書店、1997年。
 エドガー・アラン・ポー/阿部保訳『ポー詩集』 新潮社、1956年。


recommend:
ナボコフ『ロリータ』 (アナベル・リイの詩へのオマージュ)
>大江健三郎『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』 
rate:☆☆☆☆

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ふくろう男
北米文学
4 0

『緋文字』ホーソーン
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[罪を背負い]

保守的な時代のアメリカでの、背徳に関する物語。

背徳というからには、倫理がある。
この物語の場合の倫理は、「アメリカのプロテスタント的倫理」。
17世紀のボストンで、「汝、姦淫するなかれ」の倫理に反して、主人公のひとりであるヘスタは、夫のいない間に子供を生む。
いまどきなら不倫は別にめずらしい話ではないけれど、この時代のアメリカにあっては、それは背徳の緋文字「A」を背負わせ、社会的制裁を下すほどの大罪だった。
うーん、ひと昔前のプロテスタントの倫理って、なかなかに厳格。

数少ない登場人物の、濃密な関係の交錯によって物語りは進む。
緋文字を背負った女性ヘスター・プリンとその娘・パール。
へスターの夫である医師・チリングワースに、町の牧師のアーサー。

ひとつの「不倫」という事実に対して、それぞれの「罪の意識」は異なっている。
他人の目=常識にさらされて恥辱に耐え続けるヘスタ、自分の目=良識に耐えられなかった牧師、全てを分かった上で悪魔的な復讐心を止められない医師。
同じ事件の中にいる人々が、こうも違う結末を向かえるのは、当たり前のようでもあり、不思議でもある。

飾ってある甲冑に、へスターの着ている服に縫いつけられた「A」の文字がゆがんで大きく映るシーンが印象的。
あとは、子供「パールちゃん」の小妖精っぷりがすごい。
なんだろう、この無邪気さと残酷さの強烈さ。

倫理が人の人生を食らい、人が罪におののくことについて。


...Nathaniel Hawthorne THE SCARLET LETTER ,1850.
 ナサニエル・ホーソーン/鈴木重吉訳 『緋文字』 新潮社、1996年。



recommend:
ジッド『狭き門』 (神への心)
>メルヴィル『白鯨』 (献辞にホーソーンの名がある)
>ドストエフスキー『罪と罰』 (罪の意識)
rate:☆☆☆

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ふくろう男
北米文学
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『体の贈り物』レベッカ・ブラウン
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[見送る]


アメリカの作家による、エイズ患者とホームケア・ワーカーをめぐる、短篇小説。

この作品を最初に読んだのは、数年前になる。
看護士見習いの友人が、「辛い」と泣きながらも仕事に向かっていて、その心がさっぱり分からない。
そんな時にあらすじにつられて手に取ってみた本だった。
初読時は、「思ったより良かった」程度の感想だったと思う。
今読み返してみると、ずいぶん違った印象を受けるのは、身近な人間を一人、見送ったからかもしれない。
病人と健康な人間が向かい合う時には、「死」もまたそこにひっそりと立っているその感覚を思い出す。


この物語を読んで、「人との距離」というものについて考えた。
ホームケア・ワーカーとエイズ患者は、一緒にいて、話をして、ごはんを食べて、体に触れる。
家族でも恋人でもない関係なのに、この距離感はじつに不思議だ。
近かったり遠かったり、その距離はさまざまで、主人公も他の人びとも、常に距離を意識しながら動いている。

印象に残ったのは、「汗の贈り物」(ごはんがおいしそう)、「動きの贈り物」(最後がいい)。
一方通行の道の途中で、常に人を見送る立場に立つ人と、何かを残していく死にゆく人と。


...Rebecca Brown THE GIFTS OF THE BODY ,1994.
 レベッカ・ブラウン/柴田元幸訳 『体の贈り物』 新潮社、2004年。

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若いうちの「死」は観念的だが、じつはもっと身体的なものなんだろうと思う。
日に日に細くなっていくのを見るのは辛いものだ。

本書は、「贈り物」という題名が、わりと救いになっているんじゃないかなあと。
死は、生者になにかを残していけるだろうか?

recommend:
>レベッカ・ブラウン『家庭の医学』 (死と家族)
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』 (見送り、見送られ)
rate:★★★
ふくろう男
北米文学
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『母なる夜』カート・ヴォネガット
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[呆然と立ち止まり]

第二次世界大戦中、ナチスの宣伝員でもあり、アメリカの諜報員でもあった男の回想録。
また買ってしまった、ヴォネガット。気がつくと、手元に一冊ずつ増えている気がする。

主人公キャンベル・ハワード・ジュニアは、第二次世界大戦中はナチスの宣伝官。
一方で、道端で誘われてアメリカの諜報員として働いたという、二重経歴を持つ。

どちらの国にもつけない、帰属意識の喪失。
唯一戻れる場所は、愛する妻のもとだけだったが、その妻も、戦争の最中に行方が分からなくなる。

なんとも切ない話だった。
誰にも存在を知られることなくひっそりと、ニューヨークという都会で生きる元戦犯。
誰も彼のことを知らず、求められる時は、政治的目的に利用される時だけ。
一度は本当の友情や愛情が手に戻ったかと思うのだが、それもすべて失って、帰る場所がなくなって、呆然と立ち止まる。
孤独に生きて、孤独に死んでいく主人公の姿が悲しい。

世の中には、戦争に参加してもその罪を問われなかった人々がたくさんいる。
どこまでが罪として裁かれて、どこまでが裁かれないか、その境界線があいまいなまま時が過ぎて、そして主人公は自ら助かる道を捨てた。
罪悪感からそうしたのだったら、こうも印象的な話ではなかったと思う。

「母なる夜」は、ゲーテ『ファウスト』でメフィストフェレスが語る闇の本質のこと。
先に光が見つからない、先へ進めない主人公の思いが重ねられている気がする。


...Kurt Vonnegut MOTHER NIGHT ,1961.
 カート・ヴォネガット/飛田茂雄訳 『母なる夜』 早川書房、1987年。

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帰る場所を失った人の話が、なぜか読むのが好きだ。なんでだろう。
だからヴォネガットも好きなのかもしれない。
戦争批判としてはあまり読まなかったけど、そう読むとこれはこれでなんとも苦い。


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こちらは白水社版。ハイホー

recommend:
>セリーヌ『夜の果てへの旅』 (戦争と孤独と夜)
>ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』 (イスラエル人が語るナチス)
rate:☆☆☆
ふくろう男
北米文学
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『芝生の復讐』リチャード・ブローティガン
芝生の復讐

[メランコリー・メモリー]

「ことばで表すことのできない感情と、ことばでよりはむしろ糸くずの世界をもって描かれるべきできごとに、今夜の私は取り憑かれている。
わたしの子供時代のかけらたちのことを考えていた。それらは形もなく意味もない。遠い生活のかけら。ちょうど糸くずのようなことがらなのだ。」(『糸くず』より)


アメリカについて、あるひとりの作家の記憶の断片から、語られ紡がれる物語。
本書は、60本以上の、長さも文体もばらばらの短篇から成る。
淡淡として、それでいてどこか不思議な幻想的な世界が降り積もって、ブローティガンの持つ「アメリカ」を見せている。

「アメリカ」って何だろう、と考える。
私の持つアメリカの記憶は、もう何年も前にホームステイをした時の記憶だけだ。
西部の田舎で、小麦畑を眺めながら、コカコーラを飲み、日曜は教会に連れて行かれ、平日はステイ先の少年とともに、湖まで遊びに行った記憶。
それが私にとっての「アメリカ」だ。
一方で、ニューヨークやサンフランシスコに住む友人から語られる「アメリカ」は、本当に同じアメリカだろうかと思うほど違っている。

ブローティガンの語るアメリカは、どちらかといえばわびしい。
貧しかったり、忘れられたり、ひっそりと生きている人々が、幻影のように語られる。

以下、印象的だった短篇の覚え書き。

・「芝生の復讐」:人生の最初の記憶。
・「1/3 1/3 1/3」:3人でしあげた小説について。こういう雰囲気はなんか好きだ。
・「コーヒー」:一番好きな作品。人生は、珈琲一杯の温かさの問題である。
・「サン・フランシスコの天気」:アメリカの持つ「飲み込み力」のようなものについて。
・「カリフォルニアは招く」:肉を大量に買うおばあちゃんの行動が。・・・
・「こみいった銀行問題」:確かに、月末は銀行が込んで大変。
・「装甲車」:アメリカぽいような、そうでないような。

地に足がついていない雰囲気の、ふわふわとただよう、記憶のかけらを泳いでみる。


...Richard Brautigan REVENGE OF THE LAWN Stories1962-1970 ,1971.
 リチャード・ブローティガン/藤本和子訳 『芝生の復讐』新潮社、2008年。

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こういう、ブローティガンが描くようなメランコリーな雰囲気を持つ友人がいる。
読んでいて、ふと思い出した。さて、あの子は元気にしているだろうか。・・・

recommend:
>ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』 (幻想的な世界)
>リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』 (鱒の比喩で、アメリカを語る)
rate:★★★
ふくろう男
北米文学
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『ライ麦畑でつかかまえて』J.D.サリンジャー
ライ麦畑でつかまえて 

[ぼくは行かなきゃならない]


「相変わらずのコールフィールドだ。いったい、いつになったら大人になるんだ?」(本文より)

アメリカの「永遠の青春小説」。
1950年代に書かれて、今なお読まれている作品。

本書の主人公、ホールデン・コールフィールドは、友人や先生、学校、女の子、まわりにいるあらゆる人々にたいして、ホールデンは何かにつけて一言物申す。
「どうしようもない」だとか「だらしない」とか「がまんできない」だとか。
もちろん、同じくらい、自分のことも言う。
「弱い」「勉強が出来ない」「狂っている」などなど。…
実際彼はそのとおりで、「文武両道、かっこういいヒーロー」とは、まさに対極に位置している。

半分くらいいくころには、文句ばかりでだんだん読むのがうんざりしてきた。
何がいいのか、この本は?まじめに問いかけたりもした。
だけど、残り三分の一くらいのところ、唯一ホールデンが悪く言わない妹フィービーとの会話あたりで、「ああそうか」と納得する。

本書の題名ともなる、ホールデンの世界について、他者について考えていること。
なるほど、彼は確かに周りに悪態はつくが、だからといって、他者のことを本当に嫌っているわけではない。
欺瞞、偽善、うそくささ、そういったものへのこの反発。
「いんちきくさい」ものへの反発はむしろ、曲がったことをなあなあにできない純粋さからか。
そう思えると、一気にホールデンへの目線がやさしくなる。

なんといっても、妹フィービーが妙にかわいいので、彼女の存在だけで、一読の価値はある。
「ねえホールデン、友達にげっぷのやり方を教わったの。聞いてくれる?」

規律による単純さを嫌い、無駄や脱線を愛する。
さて、どんな大人になりたいか?

"If a body catch a body coming through the RYE..."


...J.D.Salinger The Catcher in the Rye ,1951.
 J.D.サリンジャー/ 野崎孝訳 『ライ麦畑でつかまえて』白水社、1984


recommend:
スコット・フェツジラルド『グレート・ギャツビー』 
>ジャック・ケルアック『路上』 (アメリカの青春物語)
rate:☆☆☆

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