『巨匠とマルガリータ』ブルガーコフ
巨匠とマルガリータ

[悪魔のみぞ知る]


「人生のトランプはよく切られている」(本文より)

ウクライナ、キエフ生まれの旧ソ連の作家による、一大奇想小説。
最初から最後まで一貫してハイテンションの渦、盛大な打ち上げ花火のように魔法が使われて、なんとも派手な物語。

ブルガーコフは元医者で、白軍(反革命軍)に従軍医師として参加したこともある。
スターリン時代のソ連で、風刺をきかせた作品を作ったため、反体制の作家として長い間沈黙の淵に沈んでいたが、のちのちになって、再評価される。
反体制の作家、といっても、政治的主張や暗部が、作品の表面に現れているわけではない。
むしろ、これでもか!と笑い飛ばす風刺が、ブルガーコフの作品のおもしろさではないかと思う。

とにかく、まるでとんちんかんな魔術だらけである。
黒魔術師ヴォランドとそのご一行様(黒猫のベゲモートがかわいい)が、不吉な予言をしたり、ショーで金品をばらまいたり(当然それらは後になって消える)、火を吹かせたり消えたり消したり、派手に痛快に、モスクワで暴れまくる。
主人公であるところの「巨匠」は3分の1を過ぎても登場せず、「マルガリータ」は半分きてようやく登場する。 (「トリストラム・シャンディ」よりはましだけど)
その途中にも、2千年前のイエスとピラトの物語、いわゆる「小説の中の小説」が入り込んできたり、マルガリータが魔女になって裸でモップにまたがって空を飛ぶなど、いろいろと印象的なシーンが多すぎる。


なんというか、いろいろ物議をかもす本だろうなあ、と思う。

そもそも、悪魔のボスとイエス・キリストが知り合いで、あまつさえ頼みごとまでする。
悪魔が大暴れする小説の中に、イエス・キリストの処刑と、処刑を決めた総督ピラトの物語が挿入されたり、魔女化した「マルガリータ」とイエスの合わせ鏡でもある「巨匠」が恋人同士だったり、神と悪魔の並列が随所に見られる。
「悪魔崇拝だ!」という非難があってもおかしくはない。
一方で、「悪や影がなければ善もない!」と言っているヴォランド氏の言葉は、あるひとつの主張としては、ひどくまっとうでもある。

そういえば、読んでいてふと南米文学を思い出した。
ガルシア・マルケスが、「南米では昨日まで確かにあったことが、まるっきりなかったことになっていることも少なくなかった」と述べているのを見たことがある。

当時のスターリン政権下も、そんな感じだったのではないだろうか。
われわれからすれば、ファンタジーとしか思えないようなことが、現実に起こりうる世界。
突然逮捕され、火がつき、金が増えては消え、人も知らず消えていく。
たぶんブルガーコフが描いているのは、魔術で再構成された当時のソ連だったのだろう。
乱痴気騒ぎが行われる日常、こうなったらもう笑うしかない、的な。
よくよく考えてみたら、日本だって変な魔法は使われているかもしれない。

あと、おもしろいと思ったのが「悪魔言葉」。
ロシアではいわゆるののしり言葉で「悪魔にさらわれろ!(こん畜生的意味)」「悪魔のみぞ知る(知ったことか的意味)」などが使われるらしい。
そういえば、米原万里さんも、ロシアのののしり言葉の豊富さを賞賛?しておられた。

エンターテイメントとして、愉快に楽しく読める物語。
一方で、スターリン政権下の検閲にあった、著者のひそやかな叫びが、哄笑の影に響いている。

「そんなはずはありません。原稿は燃えないものです」


...Михаил Афанасьевич Булгаков Мастер и Маргарита ,1928.
 ミハイル・A・ブルガーコフ/水野忠夫訳 『巨匠とマルガリータ』 河出書房、2008年。

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途中で挿入されているイエスの処刑とピラトの物語は、新約聖書を読んでいると、よりおもしろいと思う。
web上で聖書訳を見つけたので、貼っておきます。

http://bible.50webs.org/sj/
口語訳聖書。マタイ=マトヴェイなので、マタイの福音書がいいかも。最後の方にピラトが出てくる。

聖書は聖書で読み物としては、そうとうおもしろい。


巨匠とマルガリータ
こちらの表紙もなかなかかわいい。やはり猫か!


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もうひとつ、英語版wikiで見つけたベゲモート像。かわいいなあー

recommend:
>チェスタトン『木曜日だった男』 (スパイスの効いたどたばた喜劇)
>ストルガツキイ『滅びの都』 (全体主義を風刺する)

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『地下室の手記』ドストエフスキー
地下室の手記


[ひきこもる]


「<なまけ者!>――これはもう一個の肩書きであり、使命であり、履歴でさえある。」

「ああ、諸君、ぼくが自分を賢い人間とみなしているのは、ただただ、ぼくが生涯、何もはじめず、何もやりとげなかった、それだけの理由からかもしれないのである。」(本文より)


ロシアの大文豪、ドストエフスキーによる、ひきこもり文学。

ネクラーソフ(名前までが冗談めいている)という人間が、地下室で書いた手記として、本書は構成されている。
2+2=4の世界への疑問、人間は、理想のためだけに動くわけではなく、同じくらい破滅のためにも動くということ。
人間は、矛盾に満ちている、という話。


ドストを読んでいてしばしば仰天するのは、この弁舌、そして人の心のとらえ方。
19世紀のロシアでも、自己のうちに閉じこもるタイプの人間は、こういう発想をしていたのだなあと、驚かずにはいられない。
彼の描く心の葛藤は、現代日本、ひきこもる人びと、自尊心の強い若人の思考に、かなり強烈に訴えてくるだろうと思う。
私も、読んでいてぎくり、とするところが少なくなかった。
いきなりぶっ通しで何ページもしゃべりまくる熱狂は、さすがロシア文学、さすがドストといったところだが。


主人公は、激烈な自尊心と、同じくらい激しい自己卑下の心を持っている。
自分は賢い者であるが、同時にハエのような存在だと。
世界とうまく相容れることができない。
この、誰でも一度はぶつかる壁に、本書はひとつの思考の結末を提示している。

世界が悪いのか、自分が悪いのか、それともどちらでもないのか。
世界は悪い、自分も醜悪、だからひきこもる。


本書は、「ドストの転換点」と呼ばれている。
「貧しき人びと」以来の人道主義から一転して、人間に対する不信、絶望が渦を巻く。
本書は非常に短いが、「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」「悪霊」などの、ドストの大作と呼ばれる作品の片鱗がほのみえる。

「世界が破滅するのと、このぼくが茶を飲めなくなるのと、どっちを取るかって?
 聞かしてやろうか、世界なんか破滅したって、ぼくがいつも茶を飲めれば、それでいいのさ」
すごい印象的だったセリフ。

ニート、ひきこもりは、現代的な社会問題ではなく、むしろ普遍的な文学的問題かもしれない。


...Фёдор Михайлович Достоевский  Записки из подполья , 1864.
 ドストエフスキー/江川卓訳『地下室の手記』新潮社、1969年。

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この本、ニーチェ、太宰治と同じくらい、感染力の高い本だと思う。
これを多感な年頃の時に読んだら、ひどいシンクロ率だろうなあ。・・・
世界との付き合い方、おそらく選択肢は数個しかない。
私は、何かをきっとあきらめて、譲るところは譲りながら生きることを選んだ。
さて、地下室の、扉の向こう側の人々は、何を選ぶか?


recommend:
>ニーチェ『ツァラトゥストラ』 (感染力の高さ)
>太宰治『人間失格』 (自尊心と自己卑下の塊)
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『はつ恋』ツルゲーネフ
はつ恋


[甘く苦い]


「これが恋なのだ、これが情熱というものなのだ、これが身も心も捧げ尽くすということなのだ」(本文より)


初恋は、実らない。
おとぎ話のようで、それでいて真実のような、よく耳にする言説。

多くの人は、「初恋の甘さ、苦さ」という、漠然としたイメージを持っていないだろうか。
恋も愛も、古今東西、人それぞれに多種多様で、多くの物語が語られきているが、なぜか初恋はみんな似たような雰囲気を持っているように思える。
本書は、まさに「初恋」ど真ん中の物語。

なんといっても初恋は、人生ではじめて、自分と親以外に心を傾けることだ。
しかもその引力は強力で、自分ではどうしていいかもわからない。
この不器用さ、真剣さ!
年を取ったなあ、としみじみしてしまう。

恋をして情熱を燃やし、そして幕引き。
いわゆるハッピーエンドではない。本書もまた、初恋のジンクスに引き込まれる。
主人公の想いは叶わず、ジナイーダも彼女の想いを果たしたわけでもなく。

それでも彼女とその想い人は、ともに死の淵をまたいで、主人公の前から消えてしまった。
彼らは向こうに行ってしまって、主人公だけがまだ生きている。
この、徹底的に取り残されてしまったような切なさ。
主人公は、二人の恋の間では、脇役でしかなかった。

森は秘密を隠している。
ロシアの庭のような、哀愁がただよう詩的な作品。


...Иван Сергеевич Тургенев Первая Любовь ,1860.

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『はつ恋』は、作者がもっとも愛したとされる。
それにしても、あの三角関係、実際にあったらいやだなあ。・・・

recommend:
>サガン『悲しみよこんにちは』 (三角関係と切なさ)
>コレット『青い麦』 (若者、そして初恋)
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『イワン・イリイチの死』トルストイ
イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)

[死は一人]


「内密の用事を先送りしていて、最後にはその用事にとりかかるのだという疑念が頭を離れなかった」
(『イワン・イリイチの死』)

その名のとおり、とあるおじさん、イワン・イリイチが死ぬまでの心の葛藤の話。
こう言ってしまうと、ものすごくつまらないように思える。

彼の死には、殺人も陰謀もない。
ごくごく平凡そのもので、じゃあ何がおもしろいのかとも思う。
だけどおもしろいのである。というより、すごい。
外側から見ているとつまらない。
だけど、死を迎える当人の心の中にもぐりこむと、そこには嵐のような心象風景がせまってくる。

死は、そんなものではないかと思う。
誰にでも訪れるが、誰もが忘れている。
そして、死は当人にとっては一大事だけど、周囲の人間にとって、どこまでいっても他人事でしかない。
永遠に交わらない平行線のように、死はどこまでも一人だけのものである。
そんな当たり前のことを、あらためてつきつけられたように思った。


「死にかけている」と「死んでいる」。
「生きている人間」と「死んでいく人間」。
この2つはそれぞれ似ているけれど、その間にはけして埋まることのない溝がある。
最後まで読み進めたあとに、もう一度最初に戻って読んでみると、生者と死者の感情のギャップに呆然とする。
結局、死ぬ本人にしか、死ぬ気持ちは分からないということだろうか。

トルストイの文章は、「アンナ・カレーニナ」にしてもそうだが、奇妙にリアルである。
死に至るまでのイワンの心理は、現代の心理学に負けず劣らず(むしろ上かもしれない)。
死んだ経験もなくこうしたものを書けるなんて、トルストイはすごいなあと、しみじみと感心してしまう。


...Лев Николаевич Толстой Смерть Ивана Ильича , 1886.
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reccomend:
>ジム・クレイス『死んでいる』 (題名のとおり、死をテーマにした話)
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