『詐欺師の楽園』ヒルデスハイマー
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[ペテン尽くし]

「そもそも本物の絵とは何だろう?本物の絵とは即ち、ひとりあるいは数人の専門家によって本物なりと折り紙をつけられた絵にほかならぬ」(本文より)


痛快愉快、ぬけぬけとしたペテン尽くしの物語。
徹底的な詐欺っぷりがすばらしい。まさにエンターテイメント。

物語は絵画、それも贋作絵画を中心に展開する。
舞台は、プロチェコヴィーナ公国という、バルカン半島にある、小さな架空の国。
アヤクス・マズュルカという、「プロチェコヴィーナのレンブラント」と称される国民的画家がいるのだが、この画家はじつはこの世に存在したことはない。
彼の作品は主人公の叔父がつくった創作物で、マズュルカ評伝も歴史も名声もペテンである。
しかもそれが、国家規模で行われる一大ペテンなのだからおもしろい。
さらに主人公も死んだことになり、不幸の画家として、彼が描いたことのない絵が高値で取引される。
ためしに主人公本人が描いてみると、「それは偽ものですよ」と言われてしまう。

存在したことのない画家、贋作家、贋作を愛でる愛好家、でっちあげする国家、でっちあげに加担する学者。
歴史も評価も国も、すべてひっくるめてまがいもののオンパレード。
架空の作家の贋作が現われてくるあたりになると、もうなにがなにやら分からない。

「新しいマズュルカ作品がこれまでに出現したことからもそれは明らかであり、そして引き続き今後も増えていくみこみである」(本文より)
今後も増えていくみこみ。なんて気のきいた文章だろう。

すべて茶番、詐欺師の楽園なのだが、「本物がすばらしいのだ」という方向に持っていかないあたりに、良い軽さを感じる。
マズュルカの作品を見て感動する人にとっては、マズュルカは本当に存在した。そう言い切るところがいい。

もちろんこの話もフィクションであり、ペテン師である作者の言うことを信じる道理なんてこれっぽっちもないのだけれど(なにせ、手記は真実を書き留めると言っているのだ、ぬけぬけと)、それでもこの話には騙されてもいいように思えてくる。

さすが、隠れた名作と言われる作品だと思う。
絶版古書なので、図書館で見かけたらぜひ一読をおすすめ。

Wolfgang Hildsheimer Paradies der falschen voger,1958.
ヴォルフガング・ヒルデスハイマー:小島衛訳 『詐欺師の楽園』 新潮社、1968年。



recommend:
詐欺文学で騙されてみる。
>ジッド『贋金つくり』・・・ジッド屈指の名作。
>トーベ・ヤンソン『誠実な詐欺師』・・・少女詐欺師。まあ詐欺というほどではないが。・・・
>トーマス・マン『詐欺師フェーリクス・クルルの告白 』・・・ドイツのお気楽詐欺ユーモア。
rate:☆☆☆☆☆
ふくろう男
ドイツ文学
2 0

『ヴィトゲンシュタインの甥』トーマス・ベルンハルト
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[ウィーンに生きた]

オーストリアの作家ベルンハルトが、ヴィトゲンシュタインの甥である親友のことを描いた、ウィーン小説。
なぜか音楽之友社のシリーズから出ているが、ほかが「ウィーン・オペラ」とか「ベートヴェン」とかなのに、本作だけびみょうに浮いている不思議。


ヴィトゲンシュタインといえば、「語りえないことについては、沈黙しなくてはならない」と言った、論理哲学者、ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインのことに他ならない。
ベルンハルトは、哲学者の甥でウィーンではいろいろな意味で著名だったパウル・ヴィトゲンシュタインと、得がたい友情を築いていた。

この本は、ウィーンに生きた人びとのゆかいな逸話に満ち満ちている。
ベルンハルトは、文学賞を受賞した時に、「人間はみじめであり、確実に死ぬのだ」という弁説をして大臣を怒らせ、田舎を心の底から憎み、雑誌を買うために何百キロも探し回る。
パウルはパウルで、ウィーンからパリまでタクシーで行き、オペラ狂で、何度も精神病院にぶちこまれるなど、いちいちやることが大味だ。
ベルンハルトのひねくれっぷりと、パウルの自由っぷりがおもしろい。
とにかく周りとなじめないこの二人は、なじもうとも思わずに、愚痴をつきまくりながらも、ウィーンの都会をさまよい遊ぶ。

読んでいて、ウィーンはすごいところだなあとしみじみ感心する。優雅に変な国。
オペラを愛し、芸術を愛し、美を愛する。とりあえずカフェにいってトルテを食べる。
さすが、異民族を取り込む目的を、武力でも圧力でもなく、美しい建造物と芸術で実行しようとした国である。

この本は読んでいて愉快だが、かつ深い哀惜がある。
「人間は死ぬのだ」と作品で示した作家が、友人の死には向き合えずに逃げた。
この矛盾があまりにも人間くさくて、ただの思い出話だけではない印象的な読後感になっている。
題名わりとそのままの話。ヴィトゲンシュタインの甥、最後の古き佳きウィーンびと。


Thomas Bernhard Wittgensteins Neffe , 1982.
トーマス・ベルンハルト/岩下真好訳『ヴィトゲンシュタインの甥 −最後の古き佳きウィーンびと−』 音楽之友社、1990年。



recommend:
オーストリアの作家。
>トーマス・ベルンハルト『消去』・・・「人間はみじめで、必ず死ぬのだ」
>アーダルベルト・シュティフター『水晶 他三篇―石さまざま』・・・日常を描く。

ものさびしい葬式。
フェツジェラルド『グレート・ギャツビー』・・・葬式の閑散さ。
rate:☆☆☆☆

以下、「ヴィトゲンシュタインの叔父」について追記。


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ふくろう男
ドイツ文学
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『シッダールタ』ヘルマン・ヘッセ
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[彷徨う覚者]

ドイツの文豪、ヘッセが描く「インドの詩」。

『車輪の下』『デミアン』と順序通りに読んできて、そして『シッダールタ』に来た。
はじめ、主人公のシッダールタは、仏陀であるゴータマ・シッダールタのことかと思っていた。
しかしヘッセが描いたのは、もう一人のシッダールタである。
仏陀となるゴータマとすれ違い、会話を交わすが、別の道を進んでいく。

インドの寺院の彫刻のように、精密で美しい作品。
彷徨うシッダールタの、心の遍歴の描写は、見事の一言につきる。

彼がたどり着いた答えは、世界は表と裏にに分けられるのではなく、「オーム」、すべてにすべてが偏在するということ。
シッダールタは、賢人でもあるが、同時に罪人でもある。すべてをひっくるめて、世界も自分もそこにある。
少し前までは、世界は苦痛であり、誰も愛せないと言っていたのに、心のありようだけで、世界はこんなにも違って見えるというのがすごい。

シッダールタは、仏陀の教えをすべて受け入れているけれど、「彼は教えるために世界を分けてしまう、それは全体を欠き、まとまりを欠く」とも言っている。
ゴータマの合わせ鏡としてのシッダールタかと思っていたけれど、どうなんだろう。
少なくともシッダールタの達した答えは、それぞれ個人が達するものであって、教えられるものではないから、「まとまり」「秩序」としての宗教の役割は果たせない。
そこがゴータマとシッダールタの違いだろうか?シッダールタの方が、小乗仏教的ぽいような。
でも正直なところ、三大宗教の中では仏教が一番分からないから、なんともいえない・・・

ラスト、ゴーダウィンダとシッダールタの、物言わぬ会話のシーンが一番好きだった。
教えずとも、伝わるものはあるということ。

東洋思想のひとつの結晶。
自分は東洋人だけれど、キリスト教・西洋思想の中で育ったので、読んでいてわかるような、一歩手前で線を引かれるような、不思議な感覚がした。

東洋思想を、基礎からきちんと勉強したくなる、そしてもう一度インドに行ってみたくなる本だった。

Hermann Hesse Siddhartha ,1922.
ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳 『シッダールタ』 新潮社、1971年。



recommend:
古代インド哲学、仏教の源流。
>『バガヴァッド・ギーター』・・・マハーバーラタの一部。
>『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』・・・仏陀の死にまつわる物語。
>手塚治虫『ブッダ』・・・漫画で読む仏陀。
rate:☆☆☆☆

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ふくろう男
ドイツ文学
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『モモ』ミヒャエル・エンデ
モモ


[忘れたくない女の子]

モモのことは、何歳になっても忘れたくない。

ドイツの作家、エンデによる児童文学。
「児童文学」と書く時にいつも思うのだが、児童が児童でなくなった時に読んでなお感動があるのが、本当の児童文学なのだと思う。
そういう意味で言えば、「モモ」はまさに児童文学中の児童文学だ。

本書の魅力はいろいろあるけれど、モモが最高にかわいくてかっこういいところから始めよう。
ぼろいスカートに大人のコートをずるずるとひきずりながら、円形劇場で暮らす少女という設定がそもそもロマンチック。
モモはそれでいて、しっかりとした足取りで、友達と、世界と付き合っている。
芯の強い子で、見ていて気持ちがいい。彼女の友達になったら、確かに幸せになりそうだ。

結果的にモモは世界を救うわけだけど、彼女自身は世界のためというよりは友達のことを思ってやっているのが、なんかいい。
よくおとぎ話には世界を救うために行動を起こすなんていうのがあるが、人間いきなり世界のことなんて絶対に考えられないし、考えたら逆に変だ。

「時間泥棒」に追われる人びとに、自分の姿を見出す人も多いだろう。
文明が人の生活を向上させたのは、労苦から自由になるはずだったのに、人は便利になるたびに、時計によりしがみつくようになってしまっている。
この本がドイツ本国と、それから日本で特に売れているのは、なんだか示唆的だ。

とっくに彼女の年を追い越しているけれど、いまだにあこがれる女の子。
むしろ追い越したからこそ、ふとした折に彼女に会いたくなる。

私は「時間泥棒」に追われずに、人の話をちゃんと聞ける人間になれているだろうか?


Michael Ende MOMO 1973.
ミヒャエル・エンデ/大島かおり訳 『モモ』 岩波書店、2005年。


recommend:
ぶっちぎりでおすすめの児童文学。
>E.L.カニグズバーグ『クローディアの秘密』・・・美術館に家出する少女の話。
>トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の彗星』・・・彗星がやってくる。
>ミヒャエル・エンデ『果てしない物語』・・・ハードカバーで持っていたい。
rate:☆☆☆☆☆
ふくろう男
ドイツ文学
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『寄宿生テルレスの混乱』ムージル
寄宿生テルレスの混乱

[混乱と青年]

「そのときなにかがはじめて石のように、テルレスの夢想の漠然とした孤独の中に落ちた。落ちてきて、そこから動こうとしない。・・・ライティングが話したように。突然の変化。人間が変わってしまったのだ・・・・・・」(本文より)


オーストリアのユダヤ系作家が描く、青年時代の魂の混乱の話。
舞台は、全寮制の男子校、ギムナジウム。
「性への目覚め」と「いじめ」。
本書は、青年期を語るエピソードとして、かなり正統的なふたつの軸で語られる。

テルレス少年の「混乱」は、まるで心不全の心電図みたいだ。
突然起こり、ぐちゃぐちゃっとなって、やがて収束していく。
読んでいるこちらまでが、混乱してくるテルレスの混乱っぷり。
時に虚数、時にカント、そして自分の魂が、同じボウルの中でごちゃ混ぜになっている。
もう少し落ち着け少年、と言いたいが、なるほど自分もうまく棲み分けができなかったような気がする。

テルレスは突然、お金を盗んだ同級生バジーニに性衝動を覚える。
ここの展開は、なかなかに迫力があった。
さてテルレスは、バジーニが美少年だったから、欲情したのだろうか?
どちらかといえば、男子校だったから性衝動が同級生に向けられたのであって、バジーニの向こうに見える娼婦ボジェナ、さらには母親の影に、テルレスはひっぱられたのではと思う。
同性愛ではなく、むしろマザー・コンプレックスの克服かと。
母親の女のにおいを拒絶していたテルレス(アイドルと好きな子はトイレに行かない!みたいなものか)が、最後に母親の香水の香りをかぐシーンが印象的。

いじめの部分は、妙にリアル。
力で征服するライティングと、理論でつめるバイネベルク。そして服従するバジーニ。
今も昔も、西でも東でも、繰り返される世界の縮図を見るようでもある。

突然のように世界は変わり、もつれて混乱し、それでも空は抜けるように青く。
いい感じに青くささがある作品。
でもこれ、どう見てもボーイズラブではないような。…


...Robert Musil DIE VERWIRRUNGEN DES ZÖGLINGS TÖRLESS,1906.
 ムージル/丘沢静也訳 『寄宿生テルレスの混乱』 光文社、2008年。



recommend:
>ゲーテ『若きウェルテルの悩み』 (題名も似ている)
エーリヒ・ケストナー『飛ぶ教室』 (ドイツ、ギムナジウム)
ヘルマン>ヘッセ『デミアン』 (ドイツ青年期と心)
rate:☆☆☆

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ふくろう男
ドイツ文学
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『ファウスト』ゲーテ
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[魂の遍歴]

人生をかけて描かれた、一大叙事詩。
地上も天上も、老いも若さも、神話も現実もひっくるめて、旅をしながら求め続ける男の遍歴。

「ツァラトゥストラ」「魔の山」「ファウスト」が、いわゆる三大ドイツ文学と呼ばれているらしい(諸説あるが)。
これは私に限ったことだろうが、ドイツ文学のこの重厚で哲学的な雰囲気、読む前に「よし、ドイツ文学読むぞ!」という気合を必要とさせられる。
2年越しで読書の合間あいまに読みながら、やっと読了。
うーん長かった。そして壮大だった。

ざっくりとあらすじ。
どんなに知識をえても何もならないと嘆くファウスト博士が、悪魔メフィストフェレスの力を借りて、若さを取り戻し、世界や神話の領域に踏み込んで、願いを叶えていく。
対価は「時よとどまれ、おまえは美しい」と言えば魂を悪魔がもらうというもの。
ファウストの魂をかけて、「主」と「悪魔」は賭け事をする。結果はまあ予定調和的。


ファウスト:
「私のなかには二つの魂がある。・・・一つは欲望をむき出しにして、この世にしがみついている。もう一つは高く地上から飛翔して、天界のものたちにあこがれる。もし天と地を支配する霊がいるなら、黄金の高みから下りてきて、私を別世界へと連れて行け」(本文より)

ファウストの貪欲さと生命力は見ものである。
まさにこの言葉のとおり、二つの世界を股にかけて、望んでは実現していく(悪魔の力を借りてだが)。
波が気に入らないから、戦うために海岸線をぶんどったり、じいさまが若がえりして若い女性を口説いたり、魔女の祭りで大騒ぎしたり。
だけどファウストは不幸だ。求め続け、飢え続けた。

メフィストフェレス:
「何であれ願いつづけ、求めつづけてきた。ついぞ満ち足りたことのない男だった。千々に変わる姿を追い続けたあげく、哀れなやつめ、とどのつまりはできそこないの空虚な時を握り締めようとした」(本文より)

人の望む力と、それを叶えようとうするエネルギーには、時折驚嘆させられる。
人間の望みは底知れない。文明をここまでのしあげたのも、人の望む力によるのかもしれない。


ファウストとメフィストフェレスとの対話がおもしろい。
このちょっととぼけた感じの悪魔がしゃべるのが楽しみだった。魔女の台詞も愉快。
みんないきいきとしているけれど、特に悪役はいい。(私は昔から、あ○ぱ○マンよりば○き○マン派だ)

第1部はまだ分かるが、第2部になると一気に世界がぶっ飛んで、何がなにやらもう分からない。
ギリシャ神話や錬金術、西洋の物語におなじみのモチーフがずらり勢ぞろい。
『ファウスト』が後世に与えた影響は大きいのだあと改めて感心する。


訳文について。
今回、導入編ということで、口語訳の池内訳を読んでみた。
森鴎外訳は、最初の1ページを見て撃沈。

森版の序文。
「昔わが濁れる目にはやく浮かびしことあるよろめける姿どもよ。再び我前に近づき来るよ。いでや、こたびはしと汝たちを捉へんことを試みんか」(森鴎外訳)
格調高くて格好いいんですけどね。・・・これで何百ページは無理だった。

「さまざまな姿が揺れながらもどってくる。かつて若い頃、おぼつかない目に映った者たちだ。このたびは、しっかりと捕らえてみたい」(池内訳)
池内訳は、さらりと入ってくる感じ。ファウストらしさ、というのとは違うかもしれないが、最初のとっかかりとしては、まあまあかなと。
次は、名訳と名高い高橋訳だろうか。また何年ごしになるかは未定。

ゲーテが人生をかけて作った本だ。
読む側も人生をかけるくらいのつもりで、気長に書斎の住人に招いてみる。


...Johann Wolfgang Goethe FAUST.
 ヨハーン・ヴォルフガング・ゲーテ/池内紀訳 『ファウスト』 集英社、2004年。

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悪魔やら契約やら魔法、錬金術、漫画やなんかでおなじみのモチーフがいっぱいあって、ファンタジーの元祖としてもおもしろい作品。
男性的本能の象徴ともいえるファウストが、放蕩の限りを尽くして、最後に女性に救われるのは、なんか意味深。

それにしても、あのよくわからない挿絵はどうにかならなかったのだろうか。
あればっかりはセンス悪いと思うんだけどなあ。

recommend:
>トーマス・マン「魔の山」 (ドイツ三山)
>ダンテ「神曲」 (世界の叙事詩)
rate:☆☆☆☆
ふくろう男
ドイツ文学
2 0

『聖なる酔っぱらいの伝説』ヨーゼフ・ロート
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[輝くその一瞬を]

多言語、多民族の辺境の地に生まれた、ユダヤ系作家による酔っぱらい伝説。

映画にもなった本作は、その名のとおり、貧乏な宿なしの酔っぱらいが、数々の奇跡に見舞われて、人生の最後を飾る話。
物語の中にしかないような数々の幸運、そして最後に幕は閉じる。

ハッピーエンドなのかどうか、感動する物語かどうかと言えば、それはわからない。
だけど、読後感のすっきりさは、ひさしく体験しなかったものだった。
ここまで毒気のない物語には、ひさしぶりに出会ったように思う。

人間生きていれば、人生中に一度くらいは、物語として語りたくなるような輝く一瞬がある。
パリの宿無しのおじさんの、そんな輝かしい一瞬を描いた物語。


作品だけを見れば、ずいぶんと明るい話のように思えるが、作者の身の上と時代を考えると、なかなかに考えるものがある。

作者ロートは、オーストリアの作家に分類されるが、生まれた土地は、ロシアと現ウクライナの国境付近にある東ガリシア地方。
この地方はウィーン文化圏だが、住んでいる人々はポーランド人、ウクライナ人が多数派という、なかなかに複雑な場所らしい。
世界大戦の時代と土地のドイツ系ユダヤ人、つまりはぐれ者。

平和な時代には悲劇が、むごい時代には喜劇が愛される。
本書は私が思うよりずっと真剣な意味で、「夢物語」なのだろうと思う。


...Joseph Roth Die Legende vom heiligen Trinker , 1939.
 ヨーゼフ・ロート/池内紀訳 『聖なる酔っぱらいの伝説』 白水社、1995年。

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へたをすれば、単なるご都合主義のつまらない話になりかねないと思うのに、なんでか好感が持てる不思議な話。
映画もいつか見てみたい。

ちなみに、昔は「酔いどれ聖伝」という邦題だったらしい。
これだと、いきなりカンフーみたいになるなあ。

recommend:
>カフカ『カフカ短編集』 (同時代の作家)
rate:☆☆☆☆
ふくろう男
ドイツ文学
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『デミアン』ヘルマン・ヘッセ
デミアン


[影の世界に惹かれ]

「私は、自分の中からひとりでに出てこようとしたことろのものを、生きてみようとしたにすぎない。
なぜそれがそんなに困難であったのか。」(本文より)


書斎の住人であった祖父に、「これまでの人生で、印象的な、好きな本は?」と聞いたところ、ヒルティの「眠られぬ夜のために」と、ヘッセの「デミアン」だ、という答えが返ってきた。
敬虔なクリスチャンであり、またドイツ好き(本人の気質もドイツ人そっくりだ)な祖父らしいチョイスだなあと思う。
というわけで、書斎の住人になりたい孫も読んでみた。
今回の読書は、そんな個人的な経緯から始まっている。

ヘルマン・ヘッセは、日本でも古くから親しまれてきたドイツ作家である。
ヘッセといえばまず思い出すのは「車輪の下」 。
今回のあらすじも、学校になじめない少年の青春時代の回想記らしく、やはり「車輪の下」と同じような感じなのかな?と思っていた。
だが、「デミアン」は印象がかなり違っていた。
どちらも青春時代であることは一緒だが、「車輪の下」がノスタルジックな青春だったのに対して、「デミアン」はもっと暗い色彩が濃くなっている。
異教的、とでも言ってもいいかもしれない。

この世には、「明るい世界」と「そうでない世界」というふたつの世界がある。
明るい世界に生きていた者が、ふとした瞬間にもうひとつの世界に気づいて、そちらに惹かれていくという話。
主人公は、幸せで敬虔なキリスト教の家族の中に生まれたが、ふとついた嘘で、自分の中にある「ずれ」をはっきりと認識していく。
主人公の少年に影響を与えたデミアンは、他者とは別の信念に基づいて行動する、「そうでない世界」の少年だ。
デミアン=デーモンの名前のとおり、そこには奇妙な引力がある。

ヘッセのキリスト教批判心が色濃い物語。
年をとり、彼もなにか思うところがあったのだろうか。
選択の余地はないと、運命を受け入れているあたり、どことなく東洋的、神秘主義っぽい。


祖父が「車輪の下」ではなく、「デミアン」を選んだのが、少し意外だった。
クリスチャンでも、このダークサイドは受け入れられるのか、それともむしろ、クリスチャンだからこそ毒気のないものより、毒がある方を好むのか。
けっきょくそのことについては聞けず仕舞いになってしまった。

他者と自分はちがうという自尊心と、闇の部分に踏み入れ、焦がれて生きること。


...Hermann Hesse DEMIAN: Die Geschichte von Emil Sinclains Jugend , 1919.
 ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳 『デミアン』 新潮社、1951年。



recommend:
>ヘッセ「車輪の下」 (比べてみるとおもしろい)
>ゲーテ「若きウェルテルの悩み」 (ドイツ青年の悩み)
rate:☆☆☆☆
ふくろう男
ドイツ文学
4 0

『飛ぶ教室』ケストナー
飛ぶ教室 (講談社文庫)


[時空を越えて]


ドイツの著名な作家による、同じ寄宿舎に住む少年たちによる、友情と親愛の物語。
「飛ぶ教室」とは、少年たちが演じる劇の題名だ。

少年5人組の物語、先生の物語、私は「いいな」と思いながらも、「きらきらしているなあ」と、どこか遠い目で読み進めていた。

あとがきを読んで、この本が上梓されたのは1933年ということに驚いた。
1933年、ドイツでナチスが政権をとった年である。
そう考えると、この本にこめられたメッセージについて、しみじみ考えさせられる。

「賢さのない勇気は野蛮であり、勇気のともなわない賢さは冗談でしかない」
「なにを悲しむかではなく、どれくらい悲しむかということだけが問題なのだ」
「大人はどうして忘れるのだろうか」

何回も警察にとっ捕まりながらも国内にとどまり、こうした物語を書き続けたケストナーの境遇と心境を考えると、メッセージはきっと、現代に生きる私が思っている以上にずっと重いのだと思う。

「飛ぶ教室」は、時空を越える。
それはたぶん、21世紀を越えた私たちの世代にも届いてほしいという作者の思いなのかもしれない。


...Erich Kästner DASFLIEGENDE KLASSENZIMMER , 1933.

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recommend:
>ジュール・ベルヌ「十五少年漂流記」 (少年の冒険と「漂流」のキーワード)
>マーク・トウェイン「ハックルベリーフィンの冒険」 (大人でも読める児童文学)
rate:☆☆☆
ふくろう男
ドイツ文学
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