2008.08.19 Tue

[たった一日]
イギリスの女性作家による、6月のロンドンの、たった一日の物語。
著者ウルフは、イギリスのロンドンの文学一家に生まれた、お嬢様タイプの作家。
そのへんの境遇は、本書の主人公であるダロウェイ夫人に似ているけれど、ほがらかなダロウェイ夫人とちがい、ウルフは生涯、神経的発作に悩まされ続けた。
本国イギリスでは、「夜眠れない?ならばヴァージニア・ウルフを読みなさい」なんていうユーモアが通るくらい、難解な作家とされる。
実験的な手法が多いせいかもしれない。
ちなみに本書は、「意識の流れ」の手法によって書かれている。
時は1923年6月のある日、場所は第一次世界大戦の終わったロンドン。
6月は、鬱屈とした天気の多いロンドンの中で、もっとも美しい時期と言われている。
お茶会を開くクラリッサの心の流れと、戦争の傷を負った青年の心の流れが、ゆるやかにロンドンを流れて、最後はその記憶が触れ合って終わる。
劇的ななにかがあるわけでない。
しかも、話を進める主体が、なんの前触れもなく突然入れ替わるので、この流れに慣れるまでに、けっこう時間がかかった。
本書には、いわゆる「客観描写」というものは存在しない。(そもそも世界を"客観的"に語ることはできない)
まるでバトンを手渡していくように、意識の主体はさまざまな人に流れ、現在も過去もないまぜになって、徹底的に主観で語られる。
神の目線の排除、「意識の流れ」の手法。
名前は聞いたことはあったが、実際に読んだのは本書がはじめてだった。(ジョイスやプルーストは積読の中に埋もれたまま)
空間的な「時間」と、意識の中の「時間」は、必ずしも一致しない。
そんな当たり前だけど、つい見過ごしがちなことを、小説の形で指し示される。
色とりどりの糸が、交互にかさなって、一枚のタペストリーを作るような構成。
はじめは何のことだか分からないのだが、読み進めていくうちに、模様がだんだん見えてくる。
思いもよらないところでつながって、ひとつの流れに集約されていくのがおもしろい。
やや読みにくい印象を受けるが、慣れればゆったりとした流れを堪能できる。
個人的に、ピーター・ウォルシュのキャラクターがいい。
なんだかんだと文句や理論を述べながら、クラリッサに恋をしている姿が好ましい。
人間や世界を、外側からではなく、内側からのぞいてみるおもしろさ。
意識と心だけでできた世界に、ゆらり、流れてみる。
...Virginia Woolf MRS.DALLOWAY , 1925.
ヴァージニア・ウルフ/丹治愛訳 『ダロウェイ夫人』 集英社、2007年。
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なんとなく、個人的にハードルが高いように思われた「意識の流れ」手法の作品だが、本書ならとっかかりとしてはいいかもしれない。
大御所は、いつか読もう、そうしよう。
recommend:
>マルセル・プルースト『失われた時をもとめて』 (抄訳版がおすすめ)
>ディケンズ『二都物語』 (ふたつから、ひとつへ)
あまりに長く長く長いので、おすすめはできないが、いちおうこちらも掲載。
>ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』 (意識の流れ)
2008.07.27 Sun

[何かに抗いたい]
「僕にはすべて分かったぞ」…
「地上にあるものはなぜお互い同士戦うのか?世界の中にあるちっぽけなものが、なぜ世界そのものと戦うのか?一匹の蝿が、なぜ全宇宙と戦わねばならないのか?」(本文より)
19世紀に活躍したイギリスのジャーナリスト・推理作家による、哲学アナーキズム小説。
作者は、「ブラウン神父」シリーズなどの探偵ものを書いている。
本書も、無政府主義者の集会に刑事の男が侵入するという、スタンダードな探偵物語のプロットだが、途中からどんどん抽象度があがっていって、キリスト教的哲学の話に放り投げられる。
追うものと追われるものが、じつはその境はあいまいだった、という、なかなか現代的な構成。
無政府主義者と特殊警察の人々は、コインの表と裏のような存在である。
お互い、狂信的な心を持ち、憎むものの破滅を望んでいるという点で、両者は本質的に同じ。
だから無政府主義者と警察は、物語が進むにつれて立場を入れ替え、ひっくり返される。
最後の方になるにつれ、どんどんキリスト教的な抽象思考へ飛んでいくあたりは、確かに「悪夢」っぽい。
もともとチェスタトンはカトリック系の思想家で、まるで一人の心の中の信仰の葛藤が、そのまま七曜会のメンバーの個性になっている感じがする。
「何を信じるべきか」という、ごくごくシンプルな信仰の問題。
そして、その「何か」に反抗せざるをえない人間の、哲学アナーキズム。
キリスト教のモチーフが、奇妙に、しかも濃密にミックスされているのがおもしろい。
天地創造の7日間を象徴する服を着ての、仮面舞踏会。
日曜日が最後に放った「汝らは我が飲む杯より飲み得るや?」は、イエスが弟子に対して、信仰の覚悟を問うた台詞(だったはず)。
途中で出てくる女性ロザモンドも、聖書系の名前。
この物語中、とにかく日曜日の存在が謎すぎる。
安息日のモチーフ、平和、神、秩序・・・うーん、なんなんだろう、本当。
圧倒的な「それ」を前にしてびびるのも人間、不可能と知りつつ立ち向かおうとするのも人間。
なんとも煙に巻かれる物語。
...Gilbert Keith Chesterton THE MAN WHO WAS THURSDAY , 1905.
G.K.チェスタトン南條竹則訳 『木曜日だった男』光文社、2008年。
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圧倒的存在と、それに対する反抗心。
あれだろうか、気分的には学校の制服に反発したがる不良の気持ちに似ているか。(違うかな…)
最後の日曜日の言葉は、「で、君らは結局どうしたいの?」っていう、ベテラン教師の台詞のようにも見える。
最終的に、チェスタトン自身は「やっぱり西洋人はキリスト教なんだ!」てところに落ち着いたらしいですが。

洋書、ペンギンブックスの表紙が雰囲気あっていい。
イギリス紳士、けっこう好きですよ。
recommend:
>レーモン・クノー『地下鉄のザジ』 (クライマックスに向けて抽象化)
>ポール・オースター『幽霊たち』 (探偵小説のような、そうでないもの)
2008.07.21 Mon

[激情の嵐]
すごい兄弟姉妹というのが世界にはいる。
文学史上のすごい姉妹といえば、やはりブロンテ3姉妹だろう。
ブロンテ3姉妹(シャーロット、エミリー、アン)は、ヨークシャーの牧師の娘として生まれた。
3人が3人とも歴史に名を残す作品を書いたという、じつに驚異的な姉妹。
その中でも、次女エミリーの書いた『嵐が丘』は、彼女の没後に評価がぐんぐんと上がった不思議な作品。
本書は、はじめは男性名で出版されたらしいが、この物語は、女性が強烈な空想力で描き出した物語であると、読みすすめるたびに思う。
舞台は「嵐が丘」「鶫の辻」という二つの屋敷のある荒涼とした土地。
この閉じられた舞台の上で、二人の主人公、キャサリンとヒースクリフは、恋とも愛とも執着ともいえる、じつに野性的な感情をさらけ出して、生きて、死んでいく。
じっさいに物語の中にも幽霊は出てくるが、登場人物がどうにも幽霊くさい。
何かに取りついたような極端な性格の人物像、ふたつの丘だけという行動範囲の狭さ、荒地という舞台、よく死んで入れ替わる登場人物が、こんな印象を与えている。
みんな、それぞれに性格が悪くて、人間的。
悪、愛、どちらにせよそれは執着で、全員がそれぞれに命がけなのは、見ていてすごいと素直に思う。
恋愛小説かと言われれば、「どうだろう・・・」という感じだが。
(あまりにヒースクリフの性格がすごすぎて、ヒーローとしてはおそらく失格)
人間のある一部分を特化して、そのままにさらけ出した、このぶちまけっぷり。
Wuthering Heightsは、ざわついている。
...Emily Jane Brontë Wuthering Heights , 1847.
エミリー・ブロンテ/鴻巣友季子訳 『嵐が丘』 新潮社、2003年。
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「嵐が丘」は、イギリスの都会の話でも美しい田園の田舎の話でもなく、ブリテン島のケルト的伝統に基づいた、閉じたワンダーワールドの物語であるように思う。
それにしても、やっぱりイギリスは幽霊がお好き。
ちなみに本書、訳の問題かどうかは知らないが、みんな妙に口が悪い。
recommend:
>ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』 (イギリスの幽霊話)
2008.06.09 Mon

[完成されたありきたりの物語]
イギリス文学の傑作のひとつに数えられる恋愛喜劇。
イギリスの田舎町で繰り広げられる、格好よくてお金持ちの男性と才気あふれる女性のロマンスと勘違い、ドタバタ、そして最後は大団円のハッピーエンド。
プロット自体はありきたりすぎるほどありきたりなのに、それでも先へ先へと読み進めたくなる、ふしぎな物語。
登場人物は、いかにも人間くさい。
みんな欠点を持っていて、それが会話や思考の中にはっきりと書き出される。
人は、どんなに冷静なつもりでも偏見でものを見ているし、自分に対しては虚栄心がつきまとう。
えらそうにしている人ほど、そんなものでガチガチになってしまっている。
作者は、そんな人々を皮肉に笑うが、それがからりと明るくて嫌味がない。
彼女のすばらしい人間観察力に、ううむ、と感心する。
特に、主人公エリザベスのあのはっきりした性格は、なかなか見ていて痛快。
文学作品を読んでいてめずらしく、友達になってみたいと思った人物。
"It is truth universally acknowledged, that a single man in possession of a good fortune must be in want of a wife."
「独身で財産がたっぷりある男性なら、きっと妻を欲しがっているはずだというのは、世の中で広く認められている真理である」
有名な書き出しの一文。彼女の英語は非常に美しいので、原文でいつかちゃんと読了してみたい。
「田舎の村の三軒か四軒の家族、それさえあれば小説が書けるのです」
ジェイン・オースティンが言ったとされる言葉。
彼女はまさに有限実行だったといえる。
完成されたありきたりの物語は、小手先のトリックを使わずとも、何世紀も後の読者を楽しませることができるのだなあ、と。
...Jane Austen PRIDE AND PREJUDICE ,1813.
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recommend:
>エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
>モーパッサン『脂肪の塊・テリエ館』 (鋭い人間描写と女性について)
>スタンダール『パルムの僧院』 (魅力的な女性、公爵夫人!)
2008.05.13 Tue

[時は一方通行ではなく]
「もしもわたしに魂とか霊魂とか呼ばれるものがあるとするならば、きっとそれは一つではなく複数であるのに違いない。
それは限定された大きさ(dimention)を持たず、次元(dimention)を越えた存在だろう。
そして過去と未来の無数の朽ちていく肉体に次々と移り住み続けているのだ」 (本文より)
イギリスの作家による、奇想天外、マジカルな物語。
いくつもの時代を越えた物語の断片の中を、のんびりと泳ぐような小説。
あらすじを語るのがむずかしく、また実際、語ることはそれほど必要だとも思わない。
主人公とその母Dog Womanは、いろいろな時代に同時に存在して、そしていつも冒険をして、自分の心にすなおに生きている。
時間の感覚をなくした小説だから、時間の流れが一方通行な展開はしない。
ぐるぐるとめぐって、回って、その感覚がとてもおもしろい。
はっとするようなフレーズが多かったのも、この小説の特徴。
あと、Dog Womanのキャラクターが濃くてすてきすぎる。
うんちくも含蓄もなく、それでいておもしろい。
「時間は人の心の中にだけ流れるものだから、一晩で二万年が過ぎ去ることも不可能ではない」(本文より)
時間ってなんだろう、と、読み終わったあとにぼんやりと考えた本。
...Jeanette Winterson SEXING THE CHERRY ,1989.
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recommend:
>プルースト「失われた時をもとめて」 (時間感覚といえば)
>イタロ・カルヴィーノ「レ・コスミコミケ」 (マジカル!)
2008.04.14 Mon

[作家の犯す罪とつぐないの方法]
物語をつむぐ作家の罪と、つぐないの話。
物語を追わずにはいられない作家が、物語を語ることによって犯した罪と、その罪をつぐないたいという思いから語られる二重構成。
小説好き、作家志望の人には、なかなか突き刺さる話ではないかな、と思う。
主人公のブライオニーは、作家を目指す空想癖の強い少女。
彼女は事実をつないで、自分の中で物語を作り出す。
筋と整合性を求めて作り出した自分の物語のせいで、ブライオニーは姉とその恋人の人生を狂わせてしまう。
作家は、物語を求めずにはいられない。
日常の中で物語を探し、ストーリーを作りあげ、語りだす。
それはもう習性で、無邪気な罪は悪意のある罪より悲しい。
物語によって壊してしまった二人の恋人のために、作家となったブライオニーがした「つぐない」。
それが本編の物語になる。
「神が贖罪することがありえないのと同様、小説家にも贖罪はありえない―」
そうブライオニーは語る。
だけど自分のしたことを思い返して、「こうならなかったら」と願わずにはいられない。
二人の恋人の最後の場面が、ブライオニーの望んだ姿で、架空だとわかっているからこそ、そのシーンは本当にせつない。
作家ってなんなんだろう。そんなことを考えさせられる本だった。
作家は、どんなに客観を描こうと思っても、描ききれないという事実を、あらためて提示された小説。
「衝撃の結末」というほどではなかったけれど、構想がじつによく作りこまれていてうまい。
物語で人は罪をつぐなえないが、願うことはたぶん罪ではない。
彼らにキスを。
...Ian McEwan ATONEMENT , 2001.
イアン・マキューアン/小山太一訳 『贖罪』 新潮社、2003年。
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ひさしぶりに「すっごいなあこれ」と思った小説。
自分のやっていることの限界をたんたんと指し示しちゃうあたりが、マキューアンの魅力かな、と。
reccomend:
>ガルシア・マルケス「予告された殺人の記録」 (どこかでなにかが違っていたら?)
2008.04.09 Wed

[なじみきれない]
「すべてが変な方向に進んでいく。
世界はそこで止まるべきであったとしても、果てしなく動いていく」(本文より)
原題は「HALF A LIFE」。
この小説には、「半分半分」の人、「半分の人生」が数多く登場する。
主人公は、故郷インドで作家サマセット・モームの名前をもらい、イギリスで友人の真似をして過ごし、アフリカで妻の土地になじもうとする。
しかし彼はどこでも「自分の人生」を生きている気がしない。自分の人生を始められない。
そんな生き方に嫌気がさして、また新しい場所に行こうとするけれど、その先に果たして「本当の自分の人生」が待っているものなのだろうか?
この物語は、「始められない物語」である気がする。
世界は動いているし、物語は続いているのに、それでも何も始まらない。それがどうにも歯がゆいし、ままならない。
「本当の自分」とはなにか?
そんなものはあるのだろうか。
掘ればいつかは見つかる遺跡のように、「真実の形」として出てくるもの?まさか。
この本を読んでいると、自分の人生を生きることが、思っているより難しいことのように思えてくる。
自分で自分を把握しきれない、そのはがゆさと空しさ。
日本は文化摩擦や対立の少ない土壌だが、それでもどちらにもなりきれない中途半端な物悲しさを、多くの人が抱えている。
アイデンティティを外の世界に探したり、ほかの人の目に映る自分の影に求めたり。
中途半端な人生を送るもの悲しさを描いた、現代的な物語。
...V.S.Naipaul HALF A LIFE , 2001.
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recommend:
>アゴタ・クリストフ『悪童日記』 (戦争で帰るところをなくした双子の物語)
>エドワード・サイード『遠い場所の記憶』 (エグザイルを考え続けた人の人生)
>セリーヌ『夜の果てへの旅』 (なじみきれない)
2008.04.03 Thu

[言い訳を武装して]
イギリスの作家マキューアンによる、ブッカー賞受賞作。
ブッカー賞といえば、イギリスでは最高峰の文学賞。
今まで読んではずれをひいたことのない、めずらしい賞(日本国内の文学賞とは大違いである)。
ロンドン社交界をにぎわせた一人の女性が、痴呆になって死ぬ。
彼女が残した写真によって、彼女の愛人だった3人の男の人生の軸がゆがんでいく。・・・
人は、社会を生きるうえで、本当の思いをモラルでコーティングすることを必要とする。
公共の利益のため、芸術のため、政治的健全さのため。
ここに出てくる男たちは、新聞紙編集長、音楽家、外交官などの社会的地位が高い人ばかり。
彼らはそれぞれがそれぞれの倫理に従って行動する。
だがその真ん中にあるものは、嫉妬、死んでいなくなった女をめぐる嫉妬の渦巻きである。
女性の死は、本書の中ではほとんど語られることがない。
だけど実は、彼女が一番話の中心にいる。そこがおもしろい。
ものすごく現代的で、辛辣な物語。
えせモラルを紳士の笑顔でぼこぼこにする、そんなビターテイストを味わいたい人に。
...Ian McEwan AMSTERDAM , 1998.
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「嫉妬は時に愛よりも強い」という台詞をどこかで読んだことがある。
そんなものかな、と思ったけど、この物語を読んだ時に少しだけ納得した。
タテマエとホンネを日本人はよく使うけど、それらを分けていると自覚していないだけ、本当に倫理にもとづいていると思っている感情は、じつはけっこう厄介だ。
本書にはジャーナリストの男が出てくるが、その台詞は彼らがいかにも言いそうなことだったので、笑ってしまった。
なかなか、いじわるな物語だなあと思う。
recommend:
>J・ラヒリ「停電の夜に」 (現代的な辛辣さ、こっちはもうちょっとやわらかいけど)
>綿谷りさ「蹴りたい背中」 (いじわるな感情)
2008.04.01 Tue

[語り騙る]
まるでどこかの旅先で知り合った老人が、「ひまつぶしに話でもいかがかな?」と語りだすような、そんな不思議なイメージ。
この本はすべてが、すでに書き手が「誰かから聞いた話」という形で語られる。
ああ、物語とは本来このようなものだったと思い出す。
人から人へと語り継がれる物語。
そのたびに話は不思議さを増し、同時にそれが真実かどうかなんてどうでもよくなってくる。
むしろ奇妙な話をどれだけ魅力的に語るかで、その物語の価値は決まる。
その点、ジェラルド・カーシュの腕はお見事。
表題「壜の中の手記」のほか、「豚の島の女王」「ねじくれた骨」「時計収集家の王」がおすすめ。
なぜか日本人がたくさん出てくるが、それもちょっとした見所のひとつ。
読書後には、誰かに「こんな話を知っている?」と、語ってきかせたくなる。
...Gerald Kersh THE OXOXOCO BOTTLE AND OTHER STORIES , 1957.
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いかにもオールド・ファッションの、物語らしい物語。
短編といえば、日常を切り取るものが昨今多い中、起承転結がはっきりしている本書はちょっと新鮮だった。
reccomend:
>プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』 (オールド・ファッションの物語といえば)
>アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』 (「壜の中の手記」は、彼がモデルとなっている)
2008.03.31 Mon

[暗いその先に分け入って進む]
イギリスの作家、コンラッドの中篇。
コンラッドは、自身が元船乗りという一風変わった経歴の持ち主。
船でさまざまな大陸を渡った異国の風景が、彼の作品のいたるところに満ちている。
だからこそ、西欧ではそのオリエンタリズムが、熱狂的に迎えられた。
(「オリエンタリズム」で著名なエドワード・サイードも、コンラッドの文学研究者である。)
本書は、アフリカの植民地に象牙を採りにいく白人青年の、アフリカでの物語。
今まで数々の映画監督が映画化を試みたが、断念したと言われている。
「地獄の黙示録」がこれをもとにしているが、あくまで翻案である。
どこまでも突き進んでいこうと思えばいける、闇の奥。 さて、その先は?
「過ぎ行く船の甲板から陸地を眺めることは、なにか謎でも考えるような興味がある」と、主人公マーロウは、密林へ行く途中で語る。
船と対岸の間の流れ、そして密林の河の流れは、普通の生活をしている人々と自分達をどうしようもなく分けてしまった「一線」の象徴であるように見える。
友人クルツはその一線を飛び越えて、奥へと踏み込んでいってしまった。
主人公マーロウもまた一線を越えかけるが、クルツと違い、まだここに留まり続けている。
最後に、マーロウはクルツの婚約者に嘘をつく。
それは、クルツのようになりきれないことの証明であるように思う。
人は、火を使い、闇を拓いて生きてきた。
それなのに、なぜ一方で、人は闇の向こうに進みたがるのか。
おそらくそう思う人は少ない。
しかし、ある人間に対しては、闇は底知れない引力を持っている。
そんな人間の不可解な衝動について、本書は語っている。
...Joseph Conrad HEART OF DARKNESS, 1899.
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今読んでみれば、やはり彼の異国観は古くさい。
アフリカ人のいわゆる「土人」っぷりもすごく、今これを書いたら、いろいろなところからバッシングが来るに違いない。
アフリカの闇の奥は、さてじつはどこまであるのだろうか?・・・
reccomend:
>セリーヌ『夜の果てへの旅』 (自分を顧みず、闇が深まる方向へと進んでいく)
>ゲーテ『ファウスト』 (人は何かを追い求め、何かを犠牲にする)