2008.05.21 Wed

[ガイジンさん、いらっしゃい]
ものすごく舌をかみそうな名前の、タイ系アメリカ人による短編小説。
書かれている言語は英語だが、内容はタイ人の目線。
そこが、アメリカやイギリスでは好評らしい。
おそらく、自分たちの持たない「目線」を描いた、という点でものめずらしいからかな、と思う。
観光客は、観光客の目線でものを見る。
実物を見ているようでいて、ガイドブックに載っているものを見ている。
・・・なんてことは、100年前、ブアスティンなんかの頃から言われていることであって。
でも、それでもやはりそうかもしれない、と思うことがある。
自分自身の旅での経験からも、そう思う。
だから、観光客を見る現地の人の目線を見せられると、はっとする。
現地の人と仲良くなったつもりになっても、彼らが現地語で話し合っているのを聞いたときに、強烈な疎外感を感じるように。
そう、溝は容易に埋まらない。
タイの人々が、これを読んでどう思うのかはわからないけれど、旅をする人間なら一度は感じたことのあるざわめきと疎外感を、この本の中に見つけることができるのではないだろうか。
個人的に印象に残ったのは、
タイの人々から見た異国人への視線「ガイジン」「観光」、
タイで暮らす異国人の心を描いた「こんなところで死にたくない」、
タイ独特のモチーフ「プリシラ」(カンボジア難民)、「闘鶏者」(闘鶏)、など。
この本には、タイの人々に向けた愛惜の目線もあるけれど、外国人への視線をより強く感じる。
かなり「ガイジン」向けで、内容それ自体もタイの「観光」らしい。
描かれている内容も、本の存在も、西欧圏への皮肉な目線がこめられている。
この本を愛でる西欧人は、わかっているようで、やっぱりわかっていないんじゃないかと、そんな風にも思う。
とはいえ、アジア系の人の海外文学はまだまだ少ないので、一読をおすすめする。
「観光」だっていいじゃないか!
...Rattawut Lapcharoensap SIGHTSEEING ,2006.
-------------------
アメリカには伝統的に大学に「創作学科」というものがあって、そこで小説家の養成をしている。
最近では、ピュリツァーを取ったジュンパ・ラヒリなんかが有名どころ。
ラッタウットもその一人で、だからやっぱりどこかラヒリなんかと通じるものがある。
構成がきれいで、越境文学の視点を持っている。うまいと思うけど、並べて読んでみると、やっぱりどこか「学校ぽい」影がちらほらするように思う。
国際的で、うまいと思うけど、どこか小粒にまとまりすぎるという感じは、自分が通っている大学によく似ているなあ、とふと思った。
recommend:
>ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』 (インド系アメリカ作家。かなり同じ傾向)
>ポール・セロー『ワールズ・エンド 世界の果て』 (これも異国でずれこむ話。村上春樹訳)
trackback URL
http://nasca.blog72.fc2.com/tb.php/43-5f2bf14e
trackback