27,
2008

[何かに抗いたい]
「僕にはすべて分かったぞ」…
「地上にあるものはなぜお互い同士戦うのか?世界の中にあるちっぽけなものが、なぜ世界そのものと戦うのか?一匹の蝿が、なぜ全宇宙と戦わねばならないのか?」(本文より)
19世紀に活躍したイギリスのジャーナリスト・推理作家による、哲学アナーキズム小説。
作者は、「ブラウン神父」シリーズなどの探偵ものを書いている。
本書も、無政府主義者の集会に刑事の男が侵入するという、スタンダードな探偵物語のプロットだが、途中からどんどん抽象度があがっていって、キリスト教的哲学の話に放り投げられる。
追うものと追われるものが、じつはその境はあいまいだった、という、なかなか現代的な構成。
無政府主義者と特殊警察の人々は、コインの表と裏のような存在である。
お互い、狂信的な心を持ち、憎むものの破滅を望んでいるという点で、両者は本質的に同じ。
だから無政府主義者と警察は、物語が進むにつれて立場を入れ替え、ひっくり返される。
最後の方になるにつれ、どんどんキリスト教的な抽象思考へ飛んでいくあたりは、確かに「悪夢」っぽい。
もともとチェスタトンはカトリック系の思想家で、まるで一人の心の中の信仰の葛藤が、そのまま七曜会のメンバーの個性になっている感じがする。
「何を信じるべきか」という、ごくごくシンプルな信仰の問題。
そして、その「何か」に反抗せざるをえない人間の、哲学アナーキズム。
キリスト教のモチーフが、奇妙に、しかも濃密にミックスされているのがおもしろい。
天地創造の7日間を象徴する服を着ての、仮面舞踏会。
日曜日が最後に放った「汝らは我が飲む杯より飲み得るや?」は、イエスが弟子に対して、信仰の覚悟を問うた台詞(だったはず)。
途中で出てくる女性ロザモンドも、聖書系の名前。
この物語中、とにかく日曜日の存在が謎すぎる。
安息日のモチーフ、平和、神、秩序・・・うーん、なんなんだろう、本当。
圧倒的な「それ」を前にしてびびるのも人間、不可能と知りつつ立ち向かおうとするのも人間。
なんとも煙に巻かれる物語。
...Gilbert Keith Chesterton THE MAN WHO WAS THURSDAY , 1905.
G.K.チェスタトン南條竹則訳 『木曜日だった男』光文社、2008年。
recommend:
>レーモン・クノー『地下鉄のザジ』 (クライマックスに向けて抽象化)
>ポール・オースター『幽霊たち』 (探偵小説のような、そうでないもの)
rate:☆☆☆☆





ふくろう男


確かに、予期せぬ方向に話が進んでいきますよね。
私も、とても一回では読みきれませんでした。
「探偵小説にして黙示録」という謎のオビの文字につられたのですが、中身もやっぱり謎でした。
オチがわりとさっぱりしているのが、意外でもあった一冊です。
軽い探偵ものと思って読み始めたのも悪かったんだとは思いますが、じっくり読むテンションでもなく、なんだか理解しきれずに読み終えてしまったので、機会があれば読み直したい1冊です。読み返したところで、理解し切れるかどうかは謎ですが。