『そして誰もいなくなった』アガサ・クリスティー
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[そして誰も?]

もはや説明は不要、ミステリーの女王による名作。
多作のクリスティ作品でも、『アクロイド殺し』と『そして誰もいなくなった』を傑作と勧める人は多い。

孤島、嵐、マザーグース、見立て殺人。
これでもかというほどミステリーの王道クラシックをつめこんでいるのに、構成はミステリー常識の斜め上を突っ走った作品。


「U.N.オーエン」氏なる謎の人物から、特に共通性のなさそうに見える10人に招待状が届く。
マザー・グース「十人のインディアン」に見立てられた殺人が行われ、そして最後に誰もいなくなる。

本書のすごいところは緻密な舞台構成力にあるのだが、特に叙述トリックが見ものである。
本書では、殺人におびえる登場人物の心理描写が描かれるが、それが「誰の心理描写」とは明記されていない。
Aさんの心もBさんの心も犯人の心も、すべてがごちゃ混ぜになって、みんなの「意識」となって示されるだけなので、殺意の描写があったとしても、それ誰が語っているのかがわからないようになっている。
そもそもこの話にはミステリーにおいて不可欠の「探偵」が存在しない。
じっくり読めば読むほど、よく作り上げたな、と感嘆する。

ミステリーを読んだのはひさしぶりだったが、やはり女王は女王だった。


...Agatha Christie AND THEN THERE WERE NONE ,1939.
 アガサ・クリスティー/清水俊二訳 『そして誰もいなくなった』 早川書房、2003年。



recommend:
語り手による物語操作とどんでん返し。
イアン・マキューアン『贖罪』 ・・・作者は物語を語る。
>カズオ・イシグロ『日の名残り』 ・・・うそぶく語り手。
カミュ『ペスト』 ・・・客観描写なんて存在しないんだよという提示。
rate:☆☆☆☆
ふくろう男
イギリス文学
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ノーベンバー・モットー
11月も3分の1過ぎました。なんてことだ

11月は、絶版名作・強化月間でいこうと思います。
自由に絶版を読める大学図書館という環境があと半年もないということに、ようやく気づいたからというこの阿呆ぶり。

とりあえず、
・トーマス・ベルンハルト『ウィトゲンシュタインの甥』
・カルペンティエル『この世の王国』
・ドノソ『夜のみだらな鳥』
・ベールイ『ペテルブルグ』
・バルガス・リョサ『緑の家』
・ラシュディ『真夜中の子供たち』
あたりが読みたい候補。

Amazonでプレミア価格ついていたりする作品、古典復興の波にのって再販してくれないでしょうか。『ペテルブルグ』なんて全集にのっちゃうような作品なのに、文庫の値段が1万(しかも上巻だけで)。
『アレクサンドリア四重奏』を改訳して出してくれるなら、これもいけるはずだと思うのだけれど。
ふくろう男
フラグメント
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『アメリカの鱒釣り』リチャード・ブローティガン
アメリカの鱒釣り

[鱒釣り]

アメリカのあらゆる場所で、なぜか<鱒釣り>がいたり、鱒を釣ったりしている「鱒釣り」小説。

あらすじをあえて言うなら、とりあえずアメリカに鱒がいる、ということだろうか。
いくつもの幻想的な短編が、あらゆる方向からやってきて「アメリカの鱒釣り」を形作る。
たとえばこんな風に。

「<アメリカの鱒ちんちくりん>は、わたしの顔を、じっと目で追っていた。その時、二人を隔てる空間は川だった。―見る見るうちに、どんどん川幅は広がっていった。」(<アメリカの鱒ちんちくりん>に関する最終記述)

「クリーヴランド建造物取壊し会社」もおもしろくて、なんか切ない。
小川売り場があって、鱒のいる川がデパートみたいなところで売られている。鱒は川の付属品という、悲しい立ち位置だ。

この作品は、訳者との相性が良い作品として知られている。
訳者の岸本佐知子さんは、本書の訳者である藤本和子さんを「恩人」と絶賛している。
藤本さんとブローティガン作品の関係を表しているのは、「注釈」だろう。注釈がここまでユーモラスな翻訳本には、ちょっとお目にかからない。

いつも読みたいタイプの作家ではないが、ユーモアのある幻想世界に、ふとした折にぷらっと遊びに行きたくなる。

Richard Brautigan Trout Fishing in America ,1967.
リチャード・ブローティガン/藤本和子訳『アメリカの鱒釣り』 新潮社、2005年。


ブローティガンの著作レビュー:
『芝生の復讐』

recommend:
幻想世界とずれたユーモア。
ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』・・・不思議な世界観。
>レイモンド・カーヴァー『頼むから静かにしてくれ』・・・会話のナンセンスぶりがおもしろい。
rate:☆☆☆
ふくろう男
北米文学
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『宮殿泥棒』イーサン・ケイニン
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[優等生の物語]

「私はそのときたぶん、考えていたのだと思う。わが人生でありえたかもしれないあらゆる人生のなかで、なぜ自分が、いまここで語ったような人生をいきてきたのかを。」(本文より)


アメリカの超優等生作家が描く、優等生の4つの物語。

品行方正で真面目、人生中に判断や道を踏み誤った覚えも特にない。
主人公たちは、いわばそうした「優等生」だ。
普通の小説だったら、彼らはおそらく「モブ」として描写されるだけだろう。
はたから見れば、安定していて起伏のない人生のように見えるかもしれないが、そんな彼らにも語る物語がある。

周囲に置いていかれてしまったせつない父親の話「傷心の町」、判断ミスからずれてずれてしまった教師の話「宮殿泥棒」がおすすめ。

優等生は優等生のまま、語られる。ていねいな視線が好ましい良作。

最後に、作者イーサン・ケイニンのことについて。
彼はハーバード大の医学部卒業、医師であり作家でもある。
作家本人が「ど」のつく優等生。そりゃあ書く優等生もリアルなはずである。

Ethan Canin THE PALACE THIEF ,1994.
イーサン・ケイニン/柴田元幸訳 『宮殿泥棒』 文藝春秋、2003年。


recommend:
丁寧な短編集、アメリカ編。
>スティーブン・ミルハウザー『イン・ザ・ペニー・アーケード』・・・職人世界のような小説。
レベッカ・ブラウン『体の贈り物』・・・ホームワーカーとの関係。

優等生から外れた人びと。ビート・ジェネレーション。
>チャールズ・ブコウスキー『死をポケットに入れて』・・・飲むわ打つわ。
>ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』・・・ウィリアムテルごっこで妻を射殺した人。
rate:☆☆☆
ふくろう男
北米文学
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『文体練習』レイモン・クノー
文体練習


[文体の博覧会]

フランスのシュルレアリスム作家、クノーの文体練習小説。
著者が、この本をものすごく楽しそうに書いたんだろうなという情景が、目に浮かぶような本。

クノーは、文学実験集団「ウリポ」の手本とされた作家だ。
ちょっとわき道にそれるが、このウリポは、とにかく翻訳者泣かせの集団である。
有名どころでは、ジョルジュ・ペレックなどがいるが、彼はフランス語で最も出現頻度が高い「e」を小説からきれいに消失させた、すさまじい小説『消失』を書いている。(当然、未訳)
消失系の小説では、日本でも筒井康隆の『口紅に残像を』などがあるが、これはひらがなが一字ずつ脱落していくので(幽々白書を思い出す人は同世代)、『消失』ほど強烈ではない。
本書も、これまた翻訳しにくかっただろうな、としみじみ思う。

内容はいたってシンプルだ。
「バスの中でぐちを言う青年がいる。2時間後にその男は連れに、コートにボタンがいるね、と言われる」という、おもしろくもなんともない数行のシーンを、99もの文体で表現する。

読んでいて、驚くやら感心するやら、大笑いするやらで、他の本ではなかなか得がたい体験ができた。
著者にしても訳者にしても、才能を尽くして、馬鹿なことを大真面目にやってのけるこのユーモアがいい。
「植物」とかになると、もう何がなにやら。

遊び心が好きな読書人、凝り性な読書人におすすめ。
いい読書体験、できますよ。

Raymond Queneau Exercices de Style 1947.
レイモン・クノー/朝比奈弘治訳 『文体練習』 朝日出版社、1996年。



クノーの著作レビュー:
『地下鉄のザジ』

recommend:
シュルレアリズム、ウリポ関係。
>マット・マドン『コミック文体練習』・・・コミック版の文体練習。
>アンドレ・ブルトン 『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』・・・宣言しました。
>レーモン・ルーセル『アフリカの印象』・・・言葉遊びの作家。
>アルフレッド・ジャリ『超男性』・・・ウリポのお手本となった人。
rate:☆☆☆☆
ふくろう男
フランス文学
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『スペードの女王・ベールキン物語』プーシキン
スペードの女王・ベールキン物語


[古きよき物語]

「ロシアの近代文学の父」と呼ばれる、プーシキンの短編集。

ひさしぶりに、どきどきする物語を読んだ。次々とページを繰るこの感覚がなつかしい。
ギャンブル、殺人、古来から使われているモチーフを、しっかりと読ませる本書は、まさに「王道」「古典」と呼ぶにふさわしい。
普遍的な物語の形だが、ロシアらしさもしっかりと盛り込まれている。

「スペードの女王」:
ペテルブルグで賭けトランプをする男が、必勝法を老婆から聞きだそうとするが・・・
悪いことはするものではない。3・7・1、3・7・1・・・

「ベールキン物語」:
5つの短編からなる。
おすすめは「その一発」(展開がすごい)、「駅長」(最後のシーンがよい)。

古きよき物語という言葉がぴったりの本。いろいろな本を読んでいると、こういう本は息抜きになる。
現代の作家が書けない類の本のひとつであるかと。

Александр Сергеевич Пушкин Пиковая дама 1834.
アレクサンドル・プーシキン/神西清訳『スペ−ドの女王 ベールキン物語』 岩波書店、1967年。



recommend:
プーシキン後のロシア文学。
>ゴーゴリ『外套・鼻』・・・名短編。芥川も大好き。
>チェーホフ『かわいい女・犬をつれた奥さん』・・・ユーモアがきいたロシア。
トルストイ『イワン・イリイチの死』・・・心理描写の鬼作家。
rate:☆☆☆
ふくろう男
ロシア文学
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神保町で古本まつり
遅ればせながら、先月末に神保町古本まつりに行ってきた日の記録。
いかにもハロウィンらしい、寒くて天気の悪い奇妙な日だったけれど、すごい楽しかったです。

古本まつりは、国際ブックフェアとともに、年に一度の楽しみとなっています。
大通りにずらり並ぶ「本の回廊」、右を見ても左を見ても本ばかり。うっとりする。
いつか四面楚歌と言われるくらい、部屋を本で埋め尽くしてみたいとひそかにもくろんでいるのだけれど、いつの日になることやら。


購入本とか↓

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ふくろう男
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『シッダールタ』ヘルマン・ヘッセ
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[彷徨う覚者]

ドイツの文豪、ヘッセが描く「インドの詩」。

『車輪の下』『デミアン』と順序通りに読んできて、そして『シッダールタ』に来た。
はじめ、主人公のシッダールタは、仏陀であるゴータマ・シッダールタのことかと思っていた。
しかしヘッセが描いたのは、もう一人のシッダールタである。
仏陀となるゴータマとすれ違い、会話を交わすが、別の道を進んでいく。

インドの寺院の彫刻のように、精密で美しい作品。
彷徨うシッダールタの、心の遍歴の描写は、見事の一言につきる。

彼がたどり着いた答えは、世界は表と裏にに分けられるのではなく、「オーム」、すべてにすべてが偏在するということ。
シッダールタは、賢人でもあるが、同時に罪人でもある。すべてをひっくるめて、世界も自分もそこにある。
少し前までは、世界は苦痛であり、誰も愛せないと言っていたのに、心のありようだけで、世界はこんなにも違って見えるというのがすごい。

シッダールタは、仏陀の教えをすべて受け入れているけれど、「彼は教えるために世界を分けてしまう、それは全体を欠き、まとまりを欠く」とも言っている。
ゴータマの合わせ鏡としてのシッダールタかと思っていたけれど、どうなんだろう。
少なくともシッダールタの達した答えは、それぞれ個人が達するものであって、教えられるものではないから、「まとまり」「秩序」としての宗教の役割は果たせない。
そこがゴータマとシッダールタの違いだろうか?シッダールタの方が、小乗仏教的ぽいような。
でも正直なところ、三大宗教の中では仏教が一番分からないから、なんともいえない・・・

ラスト、ゴーダウィンダとシッダールタの、物言わぬ会話のシーンが一番好きだった。
教えずとも、伝わるものはあるということ。

東洋思想のひとつの結晶。
自分は東洋人だけれど、キリスト教・西洋思想の中で育ったので、読んでいてわかるような、一歩手前で線を引かれるような、不思議な感覚がした。

東洋思想を、基礎からきちんと勉強したくなる、そしてもう一度インドに行ってみたくなる本だった。

Hermann Hesse Siddhartha ,1922.
ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳 『シッダールタ』 新潮社、1971年。



recommend:
古代インド哲学、仏教の源流。
>『バガヴァッド・ギーター』・・・マハーバーラタの一部。
>『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』・・・仏陀の死にまつわる物語。
>手塚治虫『ブッダ』・・・漫画で読む仏陀。
rate:☆☆☆☆

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ふくろう男
ドイツ文学
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『モモ』ミヒャエル・エンデ
モモ


[忘れたくない女の子]

モモのことは、何歳になっても忘れたくない。

ドイツの作家、エンデによる児童文学。
「児童文学」と書く時にいつも思うのだが、児童が児童でなくなった時に読んでなお感動があるのが、本当の児童文学なのだと思う。
そういう意味で言えば、「モモ」はまさに児童文学中の児童文学だ。

本書の魅力はいろいろあるけれど、モモが最高にかわいくてかっこういいところから始めよう。
ぼろいスカートに大人のコートをずるずるとひきずりながら、円形劇場で暮らす少女という設定がそもそもロマンチック。
モモはそれでいて、しっかりとした足取りで、友達と、世界と付き合っている。
芯の強い子で、見ていて気持ちがいい。彼女の友達になったら、確かに幸せになりそうだ。

結果的にモモは世界を救うわけだけど、彼女自身は世界のためというよりは友達のことを思ってやっているのが、なんかいい。
よくおとぎ話には世界を救うために行動を起こすなんていうのがあるが、人間いきなり世界のことなんて絶対に考えられないし、考えたら逆に変だ。

「時間泥棒」に追われる人びとに、自分の姿を見出す人も多いだろう。
文明が人の生活を向上させたのは、労苦から自由になるはずだったのに、人は便利になるたびに、時計によりしがみつくようになってしまっている。
この本がドイツ本国と、それから日本で特に売れているのは、なんだか示唆的だ。

とっくに彼女の年を追い越しているけれど、いまだにあこがれる女の子。
むしろ追い越したからこそ、ふとした折に彼女に会いたくなる。

私は「時間泥棒」に追われずに、人の話をちゃんと聞ける人間になれているだろうか?


Michael Ende MOMO 1973.
ミヒャエル・エンデ/大島かおり訳 『モモ』 岩波書店、2005年。


recommend:
ぶっちぎりでおすすめの児童文学。
>E.L.カニグズバーグ『クローディアの秘密』・・・美術館に家出する少女の話。
>トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の彗星』・・・彗星がやってくる。
>ミヒャエル・エンデ『果てしない物語』・・・ハードカバーで持っていたい。
rate:☆☆☆☆☆
ふくろう男
ドイツ文学
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『海に住む少女』シュペルヴィエル
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[霧のような寂しさに]

ウルグアイ生まれ、フランス育ちの作家・詩人による、「こちらの世界」と「あちらの世界」、ふたつの世界の境界を少しゆるめたような世界を描いた短編集。

シュペルヴィエルのことを、訳者は「フランスの宮沢賢治」と評しているようだ。
賢治とシュペルヴィエル、どちらも幻想と静寂の世界観だが、賢治を鉱石のような静かさに例えるならば、シュペルヴィエルはどちらかというと、霧のようなあいまいな静かさがある。

表題「海に住む少女」の美しさは、とりあえず一読の価値がある。
海に、浮かんでは消える町、そしてそこに住む少女の存在。最後にじんわりと余韻が残る秀作だ。

海、少女、死の向こう側、寂しさと孤独。
シュペルヴィエルの描く世界は、静かな詩の色合いに満ちている。
まるで水彩画のような、寂しい静寂の余韻にひたる。

Jules Supervielle L'ENFANT DE LA HAUTE MER ,1931.
ジュール・シュペルヴィエル/永田千奈訳 『海に住む少女』 光文社、2006年。



recommend:
静寂の美しさ、詩人。
>宮沢賢治『銀河鉄道の夜』・・・少年と銀河、そして死。
>中原中也『汚れっちまった悲しみに』・・・「サーカス」が好き。ゆあーんゆよーん
>谷川俊太郎『二十億光年の孤独』・・・これもいい詩。
rate:☆☆☆
ふくろう男
フランス文学
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『族長の秋』ガルシア=マルケス
族長の秋

[独裁者の孤独]

「権力というのは結局、いかれた連中がうろうろしているこの建物、人間そっくりな焼け死んだ馬のこの臭い、侘しいこの夜明けなのか」(本文より)


当世きってのストーリーテラー、ガルシア=マルケスによる、「独裁者小説」。

主人公の大統領は、残虐非道を尽くす独裁者だが、小心でちっぽけな老人でもある。
嫌いな人間はぶち殺し、根絶やしにし、料理にしてしまう。
一方で、大統領には身に覚えのない命令が下り、映画は自分好みに造りかえられ、政権100周年の記念行事は、彼の知らぬ間に行われている。
世界も他人もすべてが嘘に塗りこめられて、真実を語っているのはトイレの落書きだけ。

大統領は孤独である。
彼は人を愛したことがなく、また母をのぞいて彼を愛してくれた人もなかった。
そんな独裁者の姿は、滑稽でもあり、もの悲しくもある。

「愛の不在」というマルケスのテーマが、喜劇的な独裁者をめぐって、重厚に縦横無尽に語られる、なんとも迫力のある作品。
時間、空間、語り手、すべてが入り乱れて、文章がたえまなく流れ出る。
マルケスの語りっぷりと、魔術的リアリズムにある程度慣れていないと、読みにくいかもしれない。
小心者の独裁者って、ヒトラーにしても、『20世紀少年』の「ともだち」にしても、なんだか気になる存在だ。

読むのは骨が折れるが(なにせ改行しないのだ、恐ろしいことに)、読むと忘れられないタイプの本。

Gabriel José García Márquez,El otoño del patriarca , 1975.
G・ガルシア=マルケス/鼓直、木村 榮一訳 『族長の秋』 新潮社、2006年。



G・ガルシア=マルケスの著作レビュー:
『百年の孤独』
『予告された殺人の記録』
『エレンディラ』

recommend:
南米の独裁者小説。
>アストリアス・オネッティ 『大統領閣下』・・・グアテマラ。
>アレホ・カルペンティエル『この世の王国』・・・ハイチの独裁政権。ころころ変わる。
>アウグスト・ロア=バストス『至高の存在たる余は』・・・パラグアイ。
>カルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』・・・メキシコ。邦訳プリーズ!
rate:☆☆☆☆
ふくろう男
南米文学
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『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
華氏四五一度

[本は燃えているか]

大御所SF作家が描く、焚書の世界。

アンチ・ユートピア=ディストピアを描いた名作のひとつとして名高い本編。
ディストピア文学の中では、本書は読みやすい方だと思う。


華氏451度は、摂氏でいえば233度くらい。つまりは本が燃える温度のこと。
偉大なる本の虫だったブラッドベリにとっては、本が焼かれる世界はまさに「ディストピア」だったろう。
もちろんこの本を手に取る、多くの本読みたちにとっても。

真実をつぶし、心をつぶし、見たくないものにはふたをする。
フォークナー、ホイットマン、聖書、シェイクスピアも、全部燃えて灰になる。
そんな監視と制裁につつまれた世界は、見ているこちらを憂鬱にさせる。

しかし、ジョージ・オーウェル『1984年』が徹底的に悲惨だったのに対して、ブラッドベリは何かしらの希望の余地を残してくれる。

この本の一番の見どころは、少女クラリスだろう。
「たしかにあたし、あんたの知らないことを知っているわね。夜明けになると、そこら一面、草の葉に露がたまるのを知っていて?」(本文より)
彼女は前半の一瞬にしか出てこない。
だけど彼女は、まるで映画『シンドラーのリスト』の白黒世界に、一人だけカラーで出てくる、赤い服の少女のように、主人公モンターグの心に決定的な変化を与える呼び水となる。

そして話が進むにつれて、無機質な世界を反映した文章の中、はっとするような花の描写や自然の描写が入ってくる。
ビルの中を歩いていて、ふと空の青さに気づくような目線の移動が印象的。

本が読めるって幸せなことだ、本当に。
最後に、クラリスとモンターグの会話から。

『「あんた、幸福なの?」
「ぼくが―――なんだって?」
かれはさけんだが、彼女はいってしまった―月光の中を走って。』


Ray Bradbury FAHRENHEIT 451 ,1953.
レイ・ブラッドベリ/宇野利泰訳 『華氏451度』 、早川書房、1975年。



レイ・ブラッドベリの著作レビュー:
『火星年代記』

recommend:
ディストピア、もしくは本と検閲の話。
ジョージ・オーウェル『1984年』・・・ビッグ・ブラザーに支配される世界。
>有川浩『図書館戦争』・・・図書館と本を守る。
>ザミャーチン『われら』・・・ソビエトのアンチ・ユートピア。
rate:☆☆☆
ふくろう男
北米文学
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『望楼館追想』エドワード・ケアリー
望楼館追想

[立ち尽くして、一歩]

「手袋をして、人が触ったものすべてを調べる魔法使いは、この世界の上を漂いながら、下界の人々を見守り、苦しみをすべて見届け、世界を監視しつつ、だが、絶対にそれに触れようとしないのだ」(本文より)


イギリス現代作家による、30歳の時のデビュー作。
古い住宅と、ずれこんだ人々の共同生活の話ときたら、手にとらないわけにはいかない。

他人の愛したものを盗んで収集する「ぼく」、人語をしゃべることができない「犬女」、汗と涙を流しつづける元教師など。
望楼館に住む人々は、いかにも奇妙な人びとで、それぞれ立ち止まったまま、動けない。
彼らをしばっているのは思い出だけど、彼らはそれを見ようとはしない。
しかし、とある一人の新しい入居者の登場で、錆びついた時計の針が動き出していく。

「望楼館」の本名は「observatory mansions」。
observatory、いろいろ意味はあるけれど、「監視衛星」という意味もあるらしい。
これは、記事の最初に抜粋した主人公フランシス・オームの心情にぴたり当てはまる意味だと思う。
フランシスは、自分が手袋をはめたまま他人に触れない理由を、ここに落ち着けている。

全体的に、よく構成されている物語だと思う。
冒頭にかかげられた詩は、まさにこの物語の核について述べているし、小説形式も形式も、びっくりするくらいスタンダード。
内容的にはとてもいい話で、「立ち尽くしたその場所から、一歩を踏み出す」というメッセージも好きなタイプだけれど、造花っぽいというか、予定調和すぎるというか。
でもたぶん、常に需要のあるタイプの作品だとも思う。いかにも小説っぽいのを読みたい人におすすめ。

Edward Carey OBSERVATORY MANSIONS, 2000.
エドワード・ケアリー/古屋美登里訳 『望楼館追想』 文藝春秋、2004年。


recommend:
奇妙な人びととの共同生活。
>ジョン・アーヴィング『ホテル・ニューハンプシャー』・・・変人ばかりのホテル。
アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』・・・ペンギンとの共同生活。
>浅田次郎『プリズンホテル』・・・極道といっしょ。
rate:☆☆
ふくろう男
イギリス文学
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『脂肪の塊・テリエ館』モーパッサン
脂肪の塊・テリエ館

[娼婦たち]


『女の一生』などで著名な、フランスの短篇作家による中篇2篇。

題名がなかなか強烈だったので、気になってはいたけど、読むことのなかった本。
両方とも娼婦の話らしいし、ましてこの名前。
少し敬遠していたのだが、繊細な人間描写と、語りのうまさがあった。


「脂肪の塊」:
「ブール・ド・スイユ=脂肪の塊」、これがそもそも人の呼び名であるところにびっくりする。
これは主人公である娼婦の呼び名だが、同時に彼女を蔑んでいるブルジョワ階級のことでもある。
彼らの、食べるシーンが印象的。
ブルジョワは、ブール・ドースイユの持っている食事を食べ尽くし、放蕩し、人の不幸や人そのものを食い物にする。
それなのに、彼女を蔑んで、弁当を欠片も分け与えない。
なんとなく、「千と千尋の神隠し」の、両親がごちそうを食べながら豚になっていくシーンを思い出した。
娼婦は身体が「脂肪の塊」だけど、上品な方々は心が「脂肪の塊」。

「テリエ館」:
娼婦館の明るい話。ロートレックの絵がにあう感じ。
「脂肪の塊」では、娼婦はかわいそうだけど、こちらでは逆に娼婦優位で、男を手玉に取って楽しげな雰囲気。


印象的なのはやっぱり「脂肪の塊」か。いろいろインパクトが強いこともあるし。
どちらもよくできた物語で、安心して読める感がある。
それがモーパッサンやO・ヘンリーの短編のいいところでもあるし、飽きるところでもあるのだけれど。

Henri René Albert Guy de Maupassant Boule de suif ,1884.  La Maison Tellier, 1881.
ギ・ド・モーパッサン/青柳瑞穂訳 『脂肪の塊・テリエ館』 新潮社、1951年。


recommend:
フランスの女性の物語。
>ゾラ『ナナ』・・・フランスの高級娼婦。
フローベール『ボヴァリー夫人』・・・モーパッサンの師匠。
rate:☆☆☆
ふくろう男
フランス文学
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『エレンディラ』ガルシア・マルケス
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[物語の渦まき]

いかにもマルケスらしい、「物語の語り」に満ちている短編集。または「大人のための残酷な童話」。

本書では、天使を捕まえたり、海からバラのにおいが漂ってきたり、日本で生活する自分にはまるで考えもしないようなことが、まるで日常のように起きる。
ラテンアメリカとはいったどんなところなのだ?いやがおうにも想像力は踊る。

訳者があとがきに書いていたことだが、こういったことは、本当にラテンアメリカでは起こるらしい。
だから西欧のように、小説を書くときに手練手管を使う必要はないのだという、地元の人の話を読んで、訳者と同じくらいびっくりしてしまった。
魔術的リアリズムはじつは手法ではなく、日常のリアルであるらしい。

マルケスの世界はつながっている。
物語が別の物語とつながって、彼の作品はすべてひっくるめて、ひとつの大きな物語を構成する。
「エレンディラ」のベッドのシーツをしぼるシーンなどは、そのまま「百年の孤独」にあった一場面でもある。

甲乙つけがたいが、表題「エレンディラ」がやはり傑作。
原題は、「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨な物語」。
まあ本当にそういう話である。
おばばの虐待ぶりもすごいし、エレンディラの可憐さもすごい。
ラストはとにかく印象的、映像として心に焼きつく、屈指の名シーン。

「マルケス長いよ!」という人には、おすすめの一作。


Gabriel José García MárquezLa increíble y triste historia de la cándida Eréndira y de su abuela desalmada ,1978.
G・ガルシア=マルケス/木村榮一訳 『エレンディラ』 筑摩書房、1988年。



G・ガルシア=マルケスの他著作:
『百年の孤独』
『予告された殺人の記録』

recommend:
南米文学短編集。
>フアン・ルルフォ『燃える平原』・・・メキシコの現実を描いたというが、これもすごい。
フリオ・コルタサル『悪魔の涎、追い求める男/コルタサル短篇集』・・・アルゼンチン。ヨーロッパ的。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『砂の本』・・・アルゼンチン。幻想の世界。
rate:☆☆☆☆
ふくろう男
南米文学
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